(1:12) 今日は有給を取って子供の体育参観労に行く日。
時間は10時45分から。
ぼくは原付、Eは自転車で。
時間通りに着いたのだが、他の保護者はもっと早めに着いていたようで、子供は来ないんじゃないかと不安になって泣いていた。
もうちょっと早めに来るべきだったか。
体育参観労の間はツイッターを見たりベトナム語の勉強をしたりEに言われて動画を撮ったりした。
授業が終わると、子供は一緒に帰りたいと言う。
しかし、授業はまだあるので、そういうわけにはいかない。
ぼくとEはそのまま帰宅。
Eは12時ごろ家を出て仕事へ。
昼食は中華名菜®︎ 四川辛口 麻婆豆腐の残り。
昼寝してから、2時過ぎにプールへ。
途中、100均に寄って縄跳び(今のやつが短くなったので)(縄跳びが縮んだわけではない)(それはそう)などを買った。
5時過ぎに子供が放課後デイサービスの車で帰宅。
デイサービスの人によると、子供はぼくとEが帰ったときの寂しさを思い出して泣いたりしていたそうだ。
6時ごろ、子供を連れてサイゼリヤ労へ。
子供はいつも通りハンバーグステーキとライス、ぼくはミートソースのスパゲティ。
今日は比較的スムーズに食べてくれて、7時半ごろには食べ終わった。
駐車場に着いて車から降りるときに、家から持って行ったテイルスのぬいぐるみがないことに子供が気がついた。
サイゼリヤに忘れてきたようだ。
(ここで、テイルスのぬいぐるみをサイゼリヤに持って行ったこと、車の中にそれがないことから、それをサイゼリヤに忘れてきたということはほぼ間違いのない事実だ)
(しかし、忘れたのが子供である以上、「ようだ」という言い方をせざるを得ない)
(忘れたのが自分であれば、事象の確からしさは同等でも、「サイゼリヤに忘れてきた」と書けるところだ)
(これを言語学でエビデンシャリティと言う)
(たぶん)
(専門ではない)
子供を家に連れて帰ってから、ぼくが一人で原付で取りに行くことにした。
(何度も書いているが、原付と車では精神的負担が大違いだ)
(原付のほうが楽)
行ってみると、果たして(古い用法)ぬいぐるみはサイゼリヤにあり、無事に受け取ることができた。
夜、シュタゲゼロ9話を見た。
そういえば、シュタゲの23話にはシュタゲゼロにつながるバージョンがあるそうなので、次はそれを見ようかな。