(2:07) 祖母の葬式に行ってきた影響で疲れて寝てしまっていた。
目が覚めたので日記を書く。
今日は6時に起きて、7時過ぎに家を出て車で西宮に向かう。
子供は連れて行かないことにした。
(家で E の母に見てもらった)
8時過ぎに着いた。
始まるまでだいぶ時間があったので、姉とおばあちゃんの思い出を話した。
(ここでは祖母ではなくおばあちゃんと書くことにする)
(いちいち断る)
(どうでもいい)
おばあちゃんはアメリカ生まれ、アメリカ育ち。
おばあちゃんの両親はカリフォルニアのサクラメントに移住した日系人。
15歳のときに父親が事故で亡くなった。
当時のお金で1万円の保険金が下りたそうだ。
一家は帰国して岡山に住むことに。
(15歳までアメリカで育って、両親は日本人で日本人学校に通っていたので、日英バイリンガル)
当時の1万円は今で言うと数千万円ぐらいの感覚で、そのお金で祖母は津田塾に行った。
(当時の名前は津田英学塾かな)
津田塾では成績がほぼ常にトップだったそうだ。
戦争中に祖父と結婚。
(「祖父」と書くと「おばあちゃん」とのバランスが悪い)
(「母」「父」とかともバランスが悪い)
(「おばあちゃん」と書くと決めたのは失敗だったのでは)
(もう遅い)
(遅いのか?)
(面倒だからそういうことにしよう)
終戦後、アメリカのガリオア資金の留学生(後のフルブライト・プログラム)としてアメリカに留学。
この留学生は都道府県あたり一人だったと言っていた。
その後は大学の英文学教授になった。
(その過程で助手とか助教授とかを経由したのかもしれないが、そのあたりは知らない)
調べてみると、CiNiiで論文が見つかり、機関リポジトリから読めるものもある。
子育ては母親に頼っていたらしい。
(子供(ぼくの母)は一人っ子)
教育熱心で、それもあってぼくの母は京都大学理学部に入った。
しかし、受験のプレッシャーで、高校時代に母は精神的な問題を発症したという。
(その後、母は父と結婚後、父の母が訪問に来るときにそのプレッシャーで発狂したそうだ)
(発狂というのは大声を上げて走り回るといった文字通りの発狂)
(ところで、「母は父と結婚後、父の母が…」ってわかりにくいな)
(どうでもいい)
その後、母はぼくが高校二年生のときに首吊り自殺をする(発見者はぼく)のだが、すぐに死んだわけではなく、植物状態になった。
しばらくは生命維持をしていたが(575)、それをやめる決断をしたのはおばあちゃんだったそうだ。
(日記の575は気にしないんじゃなかったのか)
(気がついてしまったからには書かないといけない)
(そうか?)
おばあちゃんは70歳まで働いていた。
80代後半でボケるまで、とてもしっかりした人だった。
(姉は就職後しばらくおばあちゃんの家に住んでいたのだが、姉はおばあちゃんのしっかりさ加減に、おばあちゃんは姉のいい加減さに我慢できなかったらしい)
(ぼくも大阪外大から中国に留学に行ったとき、帰ってからしばらくおばあちゃんの家に住ませてもらったことがある)
(あまりはっきりした記憶はない)
(ぼくは全般的にはっきりした記憶がない)
姉はおばあちゃんのことをよく覚えているようで、おばあちゃんが元気だったころの声真似をしていた。
(この声真似というのは人間にしかできないスキルのように感じる)
(ぼくにはできない)
(ミラーニューロンと関連が?)
で、葬式の話に戻って。
葬式では、音楽を流して、姉が準備した祖母の(「祖母」に戻す)(どうでもいい)経歴を係の人が読み上げ、祖母の遺体にみんなで花を添えた。
この儀式の雰囲気に流されて、少し泣いてしまった。
儀式の持つ力は怖い。
(そういえば、ぼくは結婚式でも泣いてしまった)
(ぼくは儀式に弱いという人間的な部分がある)
(痕跡器官的な)
(この儀式からの影響の受けやすさは人間はもっと強いのだろう)
(人間はその歴史のほとんどを儀式によって統制されながら過ごしてきたのかもしれない)
儀式が終わると火葬場へ。
焼いている間(もうちょっといい言い方はないのか?)(たぶんある)(考えるのが面倒になった)(書き始めてもうだいぶ時間がたっている)(1時間)(長すぎでは?)(なぜこんないい加減な書き方をしていてこんなに時間がかかるのか)(不思議だ)、みんなで食事に。
神戸屋という超高級ファミレス(超高級とファミレスのコロケーションが悪い)(しかし実際に超高級だった)(主に値段が)に行って、ぼくはハンバーグのサラダバーセットを注文した。
天文学的な値段にもかかわらず、ハンバーグ自体はジョイフルの422円(ライス込み)のペッパーハンバーグよりもおいしくなかった。
焼き終わって(だからもうちょっと略)、骨を拾った。
それで解散。
骨壺は当面姉夫婦の家に置いて、後で京都の納骨堂に納めることになる。
祖母の話に戻って。
総合的に、祖母はとても優秀な人だったようだ。
(身内自慢)
姉はぼくがふらふらした生き方をしていることについて、「ご先祖様からもらったIQのおかげでそんな生き方ができてるんだから感謝しなさいよ」と言っていた。
まあ、実際ぼくの知能が高い(自分自慢)(「自慢」は普通「自分」では?)(前で「身内自慢」が出てきたのでそれとの対比)のは遺伝のおかげだろう。
祖母だけでなく、父方の祖父も愛媛県一の書道の大家で、書道雑誌を発行したりしていたので、かなりの優秀な人だったはずだ。
まあ、ぼくは知能は高いけど、それ以外の人間的なバランスが悪かったので、この体たらくだけど…。
それも含めて遺伝だからしょうがない。
(姉は知能はそれほど高くないけど、人間的なバランスはぼくよりだいぶいい)
(二世代上は知能と人間的バランスが両方備わっていたようだが、劣化してしまった)
(しょうがない)
(うちはこういう感じで遺伝の影響がすごく強く出ているので、頭のよさや人間性などを fatalité(宿命)のように考える傾向が強い)
もう3時20分だ…。
寝よう。