(1:07) だいぶお酒を飲んだ。
(いや、量としてはいつも通りぐらいだ)
(9%のカシスオレンジ缶半分にオレンジジュースを足したもの)
(短い時間で飲んだのでアルコールが急に回った)
ぼくは酒を飲んでも人格が変わらないので特に面白いこともない。
しかし、人間の中にはかなり人格が変わるタイプの人がいる。
あれはどういう仕組みなんだろう?
人間の「心」の部分がそのまま出てくるということだろうか。
(こういうとき、「アスペは…」と語りたいところなのだが、自信を持ってアスペだと言えるのは自分自身しかいないので一般化しにくい)
(昨日も書いたけど、早く脳波とかMRIとかでわかるようになってほしい)
今日も特に変わったことはなし。
仕事は相変わらずしんどい。
(職場がしんどいわけではない)
(その逆で、自由にいろいろできていてプレッシャーもない)
(しかし、職場で仕事をするというだけで勝手にプレッシャーを感じて疲れ果ててしまう)
今日の日替わりテーマは「幸せな時間を思い出す」。
(ネタがないので日替わりテーマは役に立っているのかもしれない)
いや、これもネタ切れだな…。
ぼくは子供時代、基本的に幸せだったことがないし。
そういえば、子供のころの思い出としてトラウマのように残っているものがある。
京都のおばあちゃんの家からの帰りに新幹線に乗るとき、おばあちゃんとおじいちゃんが遠ざかって見えなくなって、車内に目を向けると父親・母親・姉という陰鬱きわまりない地獄の風景が待っているというもの。
子供心に、この環境はダメだ…というのを感じ取っていたように思う。
ぼくの母親は精神分裂病だったし(といっても、新幹線に乗っているということは退院しているときで一応人間として機能している状況だったとは思うけど)、父親もおよそ人間性というものと無縁な存在だったし、姉には虐待されていたし。
家の中はひたすら地獄だった。
あれ、「幸せな時間を思い出す」というテーマじゃなかったっけ…。
まあ、その地獄の車内に目を向ける前の、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にいた時間ということで。
(そちらはあまり印象がないけど)
そういえば、最近ツイッターで結城先生にフォローされて(たぶん吉野さんつながり)(吉野さんはどうしているだろうか)、ぼくのほうもフォローした。
最近、母親関係の幸せな思い出をツイートしていた。
それで思ったのが、「いい親を持った健常者なら宗教を信じやすいんだろうなぁ」ということ。
ぼくみたいな、ダメな家庭で育ったアスペは、親を大切にすることを説くような宗教とは相性が悪そうに思う。
ぼくは宗教を全否定するわけではない。
(こう書くとけっこう否定している感じだ)
ぼくは常によりよい思考回路を模索しているという面があるので、いい宗教があれば帰依したいという思いはある。
そういえば、ぼくは来世教(仮)は信じているんだった。
「今世で成し遂げられないようなことは来世で達成すればいい」という単純な考え方。
ぼくも合理性の塊というわけではないので、来世の存在というのを思考回路に収めることはできている。
(まあ、普段からフィクショナルな「明日」や「来年」といった概念を扱っているからその延長線上でという感じかもしれない)
幸せな家庭に生まれること、心を持って生まれること、幸せになること…。
これらは来世で達成することにしている。
(おかげで今世で無駄な努力をすることを避けられている)
早く来世が来てほしい。