(0:48) 相変わらず体調が悪い。
雨も降っているので外出しないで家でアルバイトのプログラミングをしていた。
在宅の仕事はいろいろとよくないところがある。
まず、(最近のように)体調が悪いときに休む気にならない。
有給休暇というのは、人間が合理的なら本来は必要のないシステムだというのがぼくの考えだ。
たとえば、年収が500万円で一年の営業日が270日で有給が20日というのと、同じ営業日で日給2万円、フルに働くと年収540万円というのとでは、後者のほうがいいに決まっている。
前者には選択の余地がないが、後者は270日働く・250日働くなどを自由に選択できる。
しかし、人間は非合理的なので、実際に日給制にすると休まなくなってしまう。
働いたほうが得だという発想になってしまうからだ。
そして、みんな休まなくなると、休まない状態で何とか生活ができる程度のレベルにまで給与水準が落ちてしまい、そうなると本当に休めなくなる。
情けない話だ、それでも知的生命体か…と思うのだが、実際にぼくも風邪気味なのに仕事をしてしまった。
休んでおけばよかったか。
ほかの悪い点としては、ありふれているが、集中ができないということ。
これまでは図書館や喫茶店に行っていたが、今日は家なのでなおさらだった。
集中ができないで作業が進まないと罪悪感が生じるので、終わる時間を遅らせてしまったりする。
いつもなら5時半までのところ、今日は6時半までやってしまった。
もうひとつは、(最初の件ともつながっているが)「あと30分働いたらこれだけのお金が手に入る」といった発想になってしまうということ。
ぼくにとって、たとえばサイゼリヤで目玉焼きハンバーグとライスとシェフサラダとドリンクバーを頼むというのは貴族行為(1000円超えなので)なのだが、今のバイトでは30分でそれ以上のお金が手に入ってしまう。
それなら5時半じゃなくて6時までやろうかな…などと考えてしまいそうになる。
ところで、世の中には忙しさをツイッターでアピールして喜んでいるミサワのような人間もいるのだから不思議だ。
ああいう生き物を地下に追いやって、地上で優雅に生きる人類のために奉仕させるということはできないのかな…などと思ったりもする。
(タイムマシンの発想)
(話の中では最終的にひどいことになっていたが、とりあえず今の世代でうまくいってくれれば自分的には OK だ)
最後に、仕事とプライベートの区別が曖昧になるということがある。
自分の好きな場所で自分のPCで作業しているのだから、私生活感が出るのはしかたがない。
しかし、そのために脳が何か錯覚して、たとえば仕事時間外に仕事のことでネット検索をするといった狂気に満ちた行動をしてしまってぞっとすることがある。
今は C++ の仕事をしているのだが、仕事中に気になったことを調べてしまったり。
さっき、そういうことをしてしまった。
恐ろしい。
ライン工の仕事をしていたころは、もちろんそんなことはなかった。
6時になった瞬間に、仕事のことは完璧に頭から消去されていた。
このアルバイトを始めてから、全然自分の勉強ができていない。
Google のころもライン工時代も、プールに行った後に 1時間ほど勉強する時間を取るということができていたが、今はまったくだ。
そこにはやっぱり仕事とプライベートの曖昧さが絡んでいる。
会社に行って働いていたら、帰ってから自分の時間を確保するというのがやりやすいが、今のような働き方だとあまり働いているように見えないので、そこまでする必要がないように(自分にとっても妻にとっても)感じられてしまう。
そういうわけで、最近はかなり不毛な時間を過ごしている。
前回の無職期間はアルバイトをしていなかったので好きなことを好きなだけできたし(そのころ BCCWJ のデータを使ってかな漢字変換エンジンを作った)(IME の形にはしていない。エンジンだけで満足してしまった)(もうちょっと頑張りたかった気もする)、ライン工時代も危機感から勉強したりしていたけど、今はどちらもない。
本来なら、お金の問題は気にしないで(実際のところ、お金はないわけではない)ゆっくり休んで好きなことをしていたほうがよかったのかもしれない。
まあ、在宅で働くというのもひとつの経験なので、やってよかったと言えるのかもしれない。
経験といえば、ライン工時代のことを自分の中でもうちょっと整理したい気持ちもある。
ライン工の仕事も、「いざとなったら自然言語と関わりのない場所でも働ける」という自信にはなったと思う(それまではなかった)。
まあ、明日考えようかな。