(4:28) 寝落ちした。
今日(というには無理のある時間だけど)は警報が出たので子供の幼稚園は休みになった。
子供はEの母が見てくれるので、ぼくとEは普通に出勤。
(ぼくは車なので影響を受けない)
(便乗して有給を取ろうか説もあったが、有給は週の半ばに使うのが本来の使い方なのだ)
(本来の使い方、あまりできていない)
(昨年度の有給は年度末のインフルエンザからのひどい喉の腫れで一気に失われてしまった)
(病は悪い…)
(ちなみに、有給の病欠がある会社もあり、ネット上ではそのような会社をうらやましがる意見も多いが、これは筋が通っていない)
(有給の病欠というのは、結局のところ条件付きの有給休暇にすぎないので、普通の有給休暇と有給の病欠がある会社のそれらの合計日数よりも多い日数の普通の有給休暇があれば、そのような会社をうらやむ必要はないはずだ)
(確かに、有給の病欠がある会社は合計日数が多いことが多いが、それならばうらやむべきポイントは「(条件付き・条件なしを合わせた)有給休暇の日数の多さ」であって、「条件付き有給休暇の存在」ではない)
(どうでもいいことを長々と書いてしまった)
(このような誤謬はよくある)
(亡き祖母に、職場に退職金があるのかと聞かれたことがあり、そのことを彼女は非常に重視しているようだった)
(しかし、退職金は(税金などのことを除けば、インターフェースとしては)受け取るタイミングが違うだけのただの労働の対価であって、ここでも重要なのはその対価の合計額だ)
(手取り月給20万、退職金年100万積み立ての会社と、手取り月給30万の会社とではどちらがいいかというと、自明に後者である)
(そういえば、昔Googleに勤めていたとき、充実した社食をうらやましがられることが多かった)
(あれも結局は労働の対価にすぎない)
(多めに見積もって一日2000円と計算して、月の労働日数を20日とすると、重質した社食のある月給20万と、充実した社食のない月給24万とでは、(飲食店へのアクセスコストを無視した場合)後者のほうがいいに決まっている)
(まあぼくは毎日クラブハウスサンドイッチを食べていたのだが)
(あれはおいしかった)
(といっても、ぼくがいま毎週金曜日に食べているジョイフルのチーズインハンバーグのほうが満足度は高い)
(しかし、実際にはアクセスコストが高いため、金曜日の祝祭性を除くとペイしない)
(アクセスコストは悪い…)
(ちなみに、今日は雨でアクセスコストが上がったためサンドイッチを持っていった)
(当然Googleの贅沢クラブハウスサンドイッチほどおいしくはない)
(まあ、ぼくにとって食はそこまで重要ではないのだが)
(これまでの議論がすべてぶちこわしになるのでは?)
(いやそんなことはない、少なくとも前半は食と関係ない話だし)
(人間エミュレータによるツッコミを入れてしまった)
(ところで、こういうところで「議論」と言うのは翻訳調を感じる)
(どうでもいい)
(どうでもいい話を長々と書いてしまった再)
(しかし、無の日常の中に唐突に差し挟まれるこのような無駄な思考の流れこそがこの日記の醍醐味ではないだろうか)
(そうすると、こちらこそが本質であり、無の日常のほうがどうでもいい話ということになるかもしれない)
(どうでもいい)
夕方、帰ろうとしたところで話のくどい人(固有名詞)に仕事のことで話しかけられて帰るのが30分遅れてしまった。
まあ、フレックスだからいいけど。
(フレックスじゃなかったら決して残らない)
(現状の労働時間は適正量を超えているので、労働時間を延ばすことはQOLの低下につながる)
(適正量は0に決まっているじゃないかという意見が予想されるが、この場合は労働の対価を考えたうえでの適正量)
(その場合、ぼくにとっての適正量は現状の3/5ぐらいだと思う)
(対価も3/5でいいから労働時間を3/5にしたい…)
(絵空事)
夜はついに実現したドイツ語レッスン。
次回は来週の金曜にした。
明日(今日)は久しぶりにMさんと会う約束をした。
楽しみ。