10/13

(0:55) 今日は台風ということで外出せず。

今週末は本屋に行かずじまいになってしまった。

まあ、読んでない本がだいぶたまってきたからちょうどいい。

 

「消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ」を読んだ。

面白かった。

(感想文が書けないタイプの人間)

 

いや、何というか「ちゃんと育った側の人間がこちら側の世界を遠目に見ている感じ」が面白かった。

  takeda25
「被虐待者に共通に見られる心理的な特徴から、私は彼らを異邦人と呼んだ。…他人と感情を共有できないため、安心を知らず、人を信頼できていない。例えて言えば、彼らは別の星で生まれ育ち、地球で生活するためにやってきた。…そんな異星人のようである」 人間側に言葉にされると奇妙な感じだ。
2014/10/13 17:20

 

ぼくはこれまで、「彼ら」(ぼくから見ての)と「我々」がそこまで違うものだとは思っていなかった。

人間(被虐待者や発達障害者でない)は、そこまで一様に「安心を知」っていて、「人を信頼できてい」るものなんだろうか?

だって、人間だって自殺とかするじゃないか。

いくらなんでも、自殺者のすべてが被虐待者や発達障害者ということはないだろう。

 

まあ、人間が自殺するのは、ハッピーな世界の中でうまくいかないことがあったり、たまたまひどい環境から抜け出せなくなったり、そういう一時的な要因なんだろうか。

どうも、いまいち実感が湧かないところがある。

 

 

takeda25
「話を異邦人にもどすと、彼らのうつ病にも同様に薬は効かない。その理由は、彼らが人生の最愛の人を失ったからではない。逆に、彼らは生まれてから一度も最愛の人と出会ったことがないからだ。」
2014/10/13 18:10

これも、「我々」からすると、そう人間について断言していいものかと不安になるぐらいだ。

人間は、そんなに高い確率で最愛の人(たぶん親だろう)と出会うものなのか?

 

まあ、こういう人間観からすると、人間がやたらと自殺を禁忌視するのもわからないでもない。

前にツイッターで話したことがあるけれど、人間にとっては鬱状態というのは「一時的に」「状況のせいで精神が不調になっていて」「薬を飲んだら治ったりするもの」らしい。

はぁ〜、お気楽なこって。

そんな人間の基準で「我々」にまで自殺するなとか言ってくれるんだから笑ってしまう。

こちらからすると、死にたくなるような人格に育てられて、さらに死ぬことまで禁じられるなんて、セカンドレイプみたいなものだ。

ひどい話だ。

(まあ実際には、自殺を禁じることなんてできていない)

(倫理的なお説教は死ぬ人間には無力だ)

(かといって、ぼくは死ぬことはできないのでしょうがなく生きていて、そうせざるを得ない以上はよく生きようと努めてはいるけれど)

 

今日はブログ記事絡みで不愉快な思いもした。

誤訳を指摘した相手は(記事内でも書いたように)まともな人だったが、うっかりツイッターで周囲の人間の発言を見てしまった。

 

こんな人格で悪かったな。

 

ぼくは誤訳やそれが生み出されてしまう仕組みを昔から嘆かわしく思っていて、それに一石を投じたいという気持ちがあったからああいうことを書いたわけだ。

そりゃあいくらぼくだって、相手を傷つけることがまったくないと思ったわけじゃないけれど、少しでも建設的になるように誤訳箇所一覧まで書いたんだ。

 

翻訳というのはコンパイルエラーが出るわけじゃないから、どんな質の翻訳をしているのか自分じゃ気づきにくいということを今回の件で実感して、それに気づくきっかけになればと思っていた。

仲間内でキャッキャウフフして褒め合ってたらみんなハッピーかもしれないが、それじゃひどい翻訳をしていても気づかないままだ。

だいたい、プログラムのコードならそんなふうには考えないだろう。

コンパイルエラーが出ないだけで、翻訳にも厳然たる質の良し悪しはあるんだ。

 

もう一件。

 はぁぁぁぁ。

高名な方とお見受けしますが、このタイミングで言うんですねぇぇぇ。

元記事を書いた人ともつながりがあって、元記事がはてブでそれなりにバズってたときにいくらでも言う機会があったと思うんですけどねぇぇぇ。

さっすが、人間は雰囲気を読む能力がすごいっすねぇ。

いや、ついていけないっすわ。

(吐瀉音)

 

原著者の意向を歪める事を極力避けたいことを強調されるこのブログの方は

原著者の意向を歪める事を極力避けたいことを強調されるこのブログの方は

原著者の意向を歪める事を極力避けたいことを強調されるこのブログの方は

 

すごい!!!

なるほど、こう書いたらぼくだけを倫理的に非難できると。

高等テクすぎて思いつきもしなかったなぁ。

(吐瀉音)

 

この人間は界隈で高名な人だということぐらいはぼくでも知っているが、ぼくはそういうことには一切敬意を払っていない。

人間の能力なんて、才能×才能があることでできた努力 だろう。

ぼくが英語を(比較的)読めるのも、元々それなりに読めたから自然と読むようになっただけのことだ。

読めない人より偉いわけじゃない。

そのことを自覚しているから、ひどい翻訳(業界内の流行? で言うと、ピヨピヨした翻訳?)に対しても、人格攻撃にならないように指摘している。

 

ところで、元の翻訳をした人が(書いていないだけで)原著者に許可を取っているという可能性もあるな。

まあ、そうだったら謝ってぼくの分は取り下げよう。

(そもそも、ぼくの翻訳は例示目的だ)