(1:57) 朝、中古車屋さんから電話がかかってきた。
日産 i の購入についてはこちらで決めて大丈夫だそうだ。
もうこれ以上迷いたくないので、買うことにした。
最寄り駅まで電車で行って、中古車屋さんに駅まで迎えに来てもらった。
ものすごく時間がかかった。
注文書の作成とか、ちょっと間違ったところがあって作り直したりとか。
無限に住所と名前を書く必要があってしんどかった。
午後 4時ごろになって、やっと解放された。
納車は 2週間後だそうだ。
だいぶ先の話だ。
その後、喫茶店でブログ記事をだいたい完成させた。
「C言語でプログラミングする際の覚書」の誤訳箇所 - アスペ日記
公開したのは夜、もう少し触った後のこと。
「非公開で指摘したら」というブコメがあったけれど、(ほかの人がフォローしてくれたように)これは翻訳の難しさについて書くという目的なのでしかたがない。
「単語の意味をつなぎ合わせて、意味の通りそうな日本語にする」という方式(機械翻訳と同じやり方だ)で翻訳をする人の存在は前から知っていたけど、今回改めて考えることになった。
そういう人は、「英語を英語として理解する」ということがいまいちピンと来ないのかもしれない。
誤訳指摘エントリでは、ここがこう違うとかいろいろ書いたが、結局のところは「そう書かれているからそうだ」ということになる。
英語を英語として読むとそうなるということだ。
最終的には、「そう書かれていることについては自信がある、なんならネイティブに確認してくれ」としか言えない。
プログラミング言語みたいに、理詰めで正しい理由を示せるわけではない。
(後付けで間違っている箇所に解説をつけることはできるし、そうしたわけだけど)
自転車やスキーやスケートと同じで、感覚を磨くことがすべてだ。
といっても、自転車やスキーやスケートなら誰でもそこそこまでは苦もなくいけるわけで、外国語の場合はそこがちょっと違う(ようだ)。
基本となるセンスがないと、それなりの量の英文を読んだり外資系企業で働いたりしても身につかないものなんだろう。
まあ、考えてみると自転車やスキーやスケートというのはみんながそれなりに使えるようになれるように作られているのだから当然かな。
子供のころなら誰でも複数の言語を覚えることができるけれど、大人になってから外国語を覚えるということは、人類にとって「全員ができなくてもいいもの」だったということだろうか。