02/28

(0:29) 今日もiPadからの更新。

 
今日は会社で飲み会があった。
同僚と人材の流動性について話したりした。
人材の流動性というと会社の人たちの中でも自由に話せるから面白い。
 
今日は某先進的バージョン管理システムから初のデプロイ的なことをした。
小さなプロジェクトだし、CI もできていないし、まだ体制が整っていない部分も多いけれど、それでもブログ記事に書いたような状況からは、ほんの少し遠ざかった。
 
しかし、文化の面では絶望的だ。
MIT とかの超ゆるいライセンスの何かを使おうとしただけで、万が一にも間違いがないか「調査」を要求され、一週間ぐらい時間がかかったりする。
彼らにとっては、オープンソースソフトウェアというのは、使っているのが見つかったら全ソースコードの公開を要求されるという、そういうイメージなんだろう。
 
いまいるところは、銀行という名前のつかない銀行のような場所だ。
外部のソフトウェアは極力使わない、コードを変更するにはそのキーワードで検索した結果をWikiに貼り付ける…など。
仕事中のツイッターなどもってのほかだ。
 
もちろん、ぼくがそこにいるのは前世からのカルマというわけではない。
いろいろな力が足りず、結果として今の場所にいる。
手持ちのカードと場を見ながら、どうやったら沼から抜け出せるのか、必死で考えている。
 
今日、マッチョ記事の続きが出ていた。
少なくとも、前回ほどのマッチョっぽさはなかった。
 
ぼくが書いたものを読んだかどうか、それはわからない。
(あんな受けなかった記事を読んだわけないじゃないか…と片付けられないほど、ネットの文章は意外なところまで届いたりするものだ)
(逆に、1000ブクマを超えていてもリアルでは全然届いていなかったりする)
 
届いていればいいけど。
人間としては負けていても、少しでもミームを動かせていたらと思う。
 
マッチョについての考えは、もうほとんどあの記事に書き尽くしたけど、もう少し、今度は落ち着いて、書いてみる。
 
人間がちゃんと機能するためには、いろいろな条件がある。
健康に生まれていること、高い知能を持っていること、子供時代に虐待されていないこと、などなど。
100%の人間はいないが、かといって「100%の人間はいない」という簡単な言葉に(だから恵まれていなくても不満を言わずに頑張るんだな)というメッセージを込めるのはひどい話だ。
壊れ方は、人によってものすごく違う。
間違った遺伝子を持って、間違った家庭に生まれてしまったら、そのハンディは数十年たってもなかなか埋まらない。
 
壊れた遺伝子や壊れた人格を手元に抱えて、はるか先に行ってしまった人たちを遠目に見ながら途方にくれている人に、「止まっていてもしかたないから進みなよ」というのは、まあ不毛だ。
 
もちろん、どれだけ壊れていて愚痴を言ったりしていても、落ち着いたら辺りを見回して、少しでも良さそうな方向に向かって歩き始めるしかない。
足の速い人に3倍の速度で追い抜かれて、焦って走り出して、すぐ息が切れて倒れ込んで、自分の限界を知って、歩くスピードを調節したりしながら。
 
そうやって生きていくなかで、個人の資質を意識することは大事だと思う。
限界を考えずに走ったらトップに立っていたというのは、確かにいい話だけど。
限界まで走ってもトップどころか中間にもついていけなくて止まってしまったような人には、あなたがトップに立てなかったのはあなたのせいじゃないと伝えるというのが、他人にできる精一杯のことに思える。
 
「なあ、モモ、」と彼はたとえばこんなふうに始めます。「とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

彼はしばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。

「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。」

ここで彼はしばらく考えこみます。それからやおらさきをつづけます。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つきのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

またひとやすみして、考えこみ、それから、

「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

そしてまたまた長い休みをとってから、

「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。」彼はひとりうなずいて、こうむすびます。「これがだいじなんだ。」
 

何年かに一回は読み直している。

 
 
今日の日記にはだいぶ時間がかかってしまった。
ブログと違って、人に読ませるのを主目的にしているわけでもないのに。
 
もう寝よう。