(0:57) 今日の午前は予定通り温泉に行った。
特に感想はなし。
(ぼくにとって温泉と銭湯の違いはほとんどない)
昼はスシローで豪遊。
うちから近いのはくら寿司なので、スシローは久しぶり。
久しぶりに行くと、スシローはくら寿司と違って注文専用レーンがないので、注文したものが来るまで時間がかかるのが気になった。
その後は地球(難波)へ。
いろいろ本を立ち読みして、何冊かネット注文して帰った。
「言語から認知を探る」をまだ読んでいる。
相変わらず訳のひどさに悩まされている。
(誤訳じゃない訳文の悪さはあまり言いたくないのだが、これは極端だ)
そういえば、暴力の人類史の原著も Kindle で買って読み始めた。
だいぶ時間がかかりそうだ。
今日の帰り、意図的にオブジェクトに注意しながら歩いてみた。
すると、駐輪場の前に一本の木があることと、少し離れて美容室があることに気がついた。
家に帰って妻にそれらの存在を知っていたか聞いてみると、美容室は「知らないわけないじゃん」という感じで知っていたが、木のほうは「知ってるわけないじゃん」という感じで知らなかった。
なるほど。
そのほかには、コンビニの隣で建物の工事をしているのにも気がついた。
これも、妻は当然のように気づいていた。
やはり、こういう「そのときの目的とは関係がないが何らかの意味のあるオブジェクト」を歩きながら認識する能力が E にはあるということを再確認した。
不思議なものだ。
これまで E に「○○(オブジェクトの情報)知ってる?」と聞かれたとき、ぼくの返事はいつも否定で、そのときの気持ちは「知ってるわけないじゃないか」というものだった。
このことを考えると、これまでどうして「自分以外の世界の感じ方」というものに思いを馳せなかったのかというのも不思議になってくる。
世の中には、そういう情報が脳内に自動蓄積されるタイプの人間もいるのだ。
まあ、今日もまた自閉症関連の本を買ったし、継続して勉強していこう。
今日は子供が初めて“妈妈”、“爸爸”と明確に発音した。
(声調や清濁がはっきりしているわけじゃないので「ママ」「パパ」でも同じだけど)
(普段子供にしゃべりかけているのが中国語なので)
ただ、妈妈と爸爸の指すものをはっきりわかっているという感じではなかった。
まあ、そのうち覚えてくれるかな。