(1:13) 風邪気味。
鼻が詰まっていて少し寒気がする。
今日はちょっとした発見があった。
それは、「人間は『内的アイデンティティ』のようなものを持っているのでは?」ということ。
きっかけはイスラム国の名称問題だったけど、そのときに寄生獣の有名なセリフを思い出した。
そうだ……名前などはどうでもいい
これを思い出してからしばらくして気づきがあった。
逆に考えると、人間にとって名前はどうでもよくないということじゃないか? ということ。
つまり、「明日からあなたの名前は鈴木大輔ね」と言われたとしても、「あ、はい」というわけにはいかないということだ。
人間は、性別や名前、所属組織や国籍をアイデンティティとして持つ。
ぼくも当然、このことは知っていた。
ぼくだって、自分の性別や名前や国籍は、携帯電話の番号やメールアドレスと同じように覚えている。
なんとなく、そういうのをアイデンティティだと思っていた。
しかし考えてみると、「人間にとっては前者は後者と決定的に違うものなんじゃないか」ということが見えてきた。
英語で言う "It dawned on me" のような感覚。
人間は自我を持ち、それには名前や性別がアイデンティティとして刻まれている。
そう考えると、いろいろなことがつながってくる。
ぼくは「性同一性障害」というのが今までピンと来ていなかった。
人によっては「性同一性」というものがあって、それが自分の生物学的な性と一致しなくて苦しんでいる、という理解だった。
これは近いけれど違うようだ。
「人間は同一性=アイデンティティを持つ、その一部として性のアイデンティティがある」
こう考えたほうが近いんじゃないか?
ぼくの思考回路はそれとは違う。
(ぼくにとっては自明なのだが、一応わずかな読者を意識して書いてみる)
ぼくの思考回路は、ぼくという個人とは独立している。
もちろん、ぼく個人にとっていい結果になるように思考をしないとマイナスのフィードバックが返ってくることはわかっているのでそういうふうに(自分にとっていい結果になるように)思考をしているけれど、それは外部から与えられる仕様だ。
「アイデンティティ」という概念は特に必要ない。
性別や名前は社会生活に必要なので完璧に覚えてはいるけれど、それ以上のものではない。
それらが明日起きたら変わっていたという場合、それに合わせて生活をするだけだ。
ぼくにとってはそういう発想は当たり前なのだが、それ以外の思考回路の形があり得るということは、(例によって)あまり真剣に考えたことがなかった。
しかし、文化によってはしょっちゅう名前を変えたりするな。
韓国人とか。
(よく改名をする)
しかし、韓国人の場合は、それを補うように姓に対するアイデンティティが強い。
(韓国人は姓が変わらない)
なるほど、それで夫婦別姓に強硬に反対する人がいるわけか。
人間にとって名前は強力なアイデンティティなので、夫婦の間でそれが共有されているのが望ましい、と。
(理解はするが賛成はしない)
40年も生きてきて、今さら人間に対する理解が深まるというのもおかしな話だが、まあそういうものなのかもしれない。
この「アイデンティティ」の存在は、「心」に次ぐ大発見だ。
人間の「心」について知ってから、まだ一か月もたっていない。
ヘレン・ケラーが最初に「水」という単語を覚えて、それからどんどん言葉を身につけていったというエピソードを思い出す。
これからも、どんどんこういった人間に関する新しい発見があるんだろうか?
これらのことがわかってくると、どうしても「人間エミュレータとしての限界」を意識させられる。
ぼくは現状、人間の表面的な行動をエミュレートして生きている。
しかし、そのエミュレート対象である人間は、「心」や「アイデンティティ」という複雑なものを持つ存在だった。
表面的な行動だけを見ていると、それらのエミュレーションが不完全になる。
だからといって、「心」「アイデンティティ」をエミュレートするというわけにはいかない。
複雑すぎて負荷が高すぎる。
そもそも、何もない時間にも周囲の見知らぬ人間に対するモデルを作るなんて、やっていたら気が変になる。
(人間は、直接話したりしていない周囲の人間に対しても「脳内モデル」のようなものが動的に生成されていて、ネイティブでシミュレーションを行っているらしい)
これまで40年間生きてきて、ぼくはそれなりに自分の思考回路に自信を持っていた。
結構人間として通用してるよね? みたいな。
しかし、「心」「アイデンティティ」を考えると、全然ダメじゃないか…と思わざるを得ない。
かといって、思考回路を組み換えることもできず、ただ「違いを意識する」ことしかできない。
まあ、それでも進歩は進歩だな…。
さて、今週うまくいったこと。
・「自閉症の謎を解き明かす」を読んだ。
・人間の持つ「アイデンティティ」に気がついた。
・アラビア語(シリア口語)の教材を小冊子として印刷することができた。(200ページまで)