(1:52) 今日はぼくの予定は特になし。
Eは朝から外出。
ぼくは家で子供労。
ゼルダをやらせたりやったりした。
昼食は辛ラーメンがなくなっていたので変なラーメン(三養ラーメンとかいうやつ)を食べた。
辛ラーメンほどおいしくない。
子供は冷凍食品の焼きおにぎり。
(いかにも栄養なさそう)
(どうしようもない偏食というのはある)
(それならそれでシリアルとかカロリーメイト的なものとかをもっと食べさせたほうがいいんじゃないだろうか)
(意識しておこう)
Eが昨日修理に出した自転車を取りに行った。
すぐ近くなので子供に留守番をさせた。
帰ってくると、Eが帰ってきていた。
5時ごろに高の原イオンへ。
晩ご飯はフードコート。
ぼくはすき家の牛丼。
肉が1mgぐらいしか入っていなくて(誇張)後半は白ご飯を延々と食べるはめになった(ノット誇張)。
子供はケンタッキーのポテト。
(いかにも栄養なさそう)
なかなか食べてくれず、無限に催促したが、子供はすぐにそこら中を走り回ったりして、結局ほとんどぼくが食べるはめになった。
やれやれ。
夜の1時前にマチクさんからいきなり電話がかかってきた。
(いきなり電話をかけるには非常識な時間だ)
自分のニュースを話して、ぼくがそれに対してあまりいい反応を返さなかったことで何か傷ついていた。
ぼくの日記の話になった。
ぼくの日記は、数年前はちゃんと生活の息吹があったのに今は完全なルーチンになっていて、もうbot同然で、死んでも誰も気づかない、とかそういう話をされた。
まあ、それはIさんにも言われたし、ぼくも自覚しているところだ。
しかし、この人格の失われの原因は何なんだろうか。
仕事がぬるま湯で刺激がないことによるものか、それとも子供が大きくなって相手をしないといけなくなって精神的な負担が増えたことによるものか、はたまた単なる老化か…。
最初の候補は今の仕事を辞めて例えばウェブリオみたいなクソ環境にまた身を置いてみるという実験ができるが、いくらなんでもそれはやりたくない。
(ウェブリオ時代はぼくの中では「死」の時期で、辞めた直後はその時期の自分の位牌を作ることを真剣に考えていたぐらいだ)
2番目の候補は、子供が手を離れたらそれが正しいかどうかわかる(子供が手を離れた後に生き生きとした? 日記が蘇るなら、子供が原因だったということだ)が、それはあまりにも遅すぎるし、そもそもそれが原因だったとしても現時点でそれに対してできることはないのでどうしようもない。
3番目の候補が正しかったとしたら、ぬるま湯環境を脱したうえで子供労負担がなくなったとしても日記の(息吹的な)復活はないということになるが…。
まあ、いずれにせよ要因(候補)はそう簡単に変えられるところではないので、今後もこのbot日記が続くことになる…。