(0:51) 午前中はゼリエースでグミを作る労をやった。
1時間半待ったのだが、あまりいい感じに固まらなかった。
今度やるときはもうちょっとお湯の量を少なくしてみよう。
昼からプールへ。
それからケンタッキーで昼食。
その後は別宅で休憩。
4時に帰宅。
子供労で公園へ。
すべり台で遊んだ後、ちょっとだけシャボン玉をやった。
帰り、コンビニで青いジャイアントコーンを買って帰宅。
家に着いたのは5時50分ぐらい。
6時に人と会う約束なので、急いでまた出かける。
約束の場所は家からすぐ近くなので、無事に時間通りに着いた。
会ったのはaさんとPさん。
(Pさん、この日記の中でかぶりがあることに気づいた)
(気にしない)
中華料理屋に入った。
この店の名物はビャンビャン麺。
二人はそれを注文。
ぼくは最近食べたところだったので、担々麺を注文。
(最近食べたところと言えば、Pさんも最近食べたところだ)
(ということは、最近食べたということは、今日をそれを食べないということの十分な理由ではないのでは?)
(人によるのでは)
(それはそう)
担々麺はおいしかった。
その他に小籠包も注文していたのだが、5個入りだったため、最初の3個は比較的早い時期に食べられたのだが、残り2個は誰も手をつけず、相当後になってすっかり冷めてからぼくとaさんが食べることになった。
(ぼくはこの流れを十分予想しつつ、それに対して何もしなかった)
(人は時には何かを犠牲にしなければならず、この場合はそれが作りたての小籠包のおいしさであったというだけだ)
(最近村上春樹を読んだので影響を受けている)
(上の文は本当に村上春樹風なのか?)
(気にしないでおこう)
中華料理屋では別のテーブルでグループがものすごい大声で話していた。
そのグループが帰ると一気に静かになった。
aさんとPさんは、職場が同じというだけでなく、同じ部署でもあるとのことだった。
Pさんが面接で来たときに一度会ったそうだ。
しかし、コロナの影響でその後は一度も会っていないとのこと。
Pさんは、ぼくにとっては予想通りの感じ(中性的)だった。
騒がしいグループが去ってから、中華料理屋にいるのは我々だけになったので、場所を移してミスドに行くことにした。
(ミスドのアクセントはミ[ス]ド)
(こういう、ミスドのアクセントとか、そういう話をしていた)
ミスドではソーシャルがディスタンスしていた。
(?)
あちこちに使えない机があり、椅子も間引かれていた。
その結果、我々はお互いに2mぐらい離れて座って話すことになった。
アフターコロナの風景だ。
(中華料理屋はビフォーコロナの世界で、我々もソーシャルなディスタンスに特に気を配らずに話していた)
(いまさらソーシャルにディスタンシングをしたところで、我々にとってのメリットはほぼない)
(我々は時には意味がないとわかっていつつも何らかのルールに従うことを余儀なくされるものだ)
ミスドではぼくはタピオカ抹茶ラテを注文した。
一食分ぐらいの値段があり、一食分ぐらいのカロリーがあることが予想された。
まあ、たまにはいいだろう。
ぼくは8時半には子供にメラトニンを飲ませる労があるので、そこでお開きにした。
人に会えたという意味では有な一日だった。
(無ではないという意味で)
(その分疲れた)
(しょうがない)