(2:58) 今日の送り迎えもE。
(よい)
朝は特に遅れることなく出勤。
昼食はスーパーの半額弁当。
そういえば、ぼくは昼休みにシャワーを浴びる習慣があるのだが、そのために毎週月曜日にタオルを持って行って、金曜日に持って帰っている。
(タオルを使うたびに洗うという富豪的習慣も世の中にある、というかそれがメインストリームっぽい? のだが、ぼくはそれは採用していない)
なのだが、先週と先々週、タオルを持って行ったはいいものの、シャワー室に持って行くのを忘れて服で拭く(ノットダジャレ)はめになるというのをやってしまった。
これまでずっと特に意識せずにやってきたことができなくなるというのはダイレクトに脳の劣化を感じる…。
ドイツ語も最近全然やってないし、左の膝は痛いし、背中の筋肉痛もあるし、もうこの身体と脳(脳も身体のうち)(心身二元論か?)(まあ実際的には分けたほうが便利なことが多い)はそろそろ使用期限切れという感じがあり、この人生はもう静かにクロージングする時期に来たのではと思わせられる。
しかし、6歳の子供がいるという現実があるため、このまま人生を続けざるを得ない、それどころかあまつさえ労働まで続けなければいけないという悲劇…。
人類はなぜピークを過ぎてまで生きるようになってしまったのか…。
(別に人類に限ったことでもない)
(野生動物だってピークを過ぎるまで生きる個体は多いだろう)
(老は悲しい…)
(そもそも、遺伝子が個体という乗り物を使い捨てにして自らを後世に残すというスキームがよくない)
(人類が今からそのスキームを克服して脳を電子媒体にコピーするようになったとしても、ぼくという個体の脳はすでに劣化してしまっている)
(生まれてくるのが早すぎた…)
(それができるぐらいの時代には、アイデンティティーを保ちつつ脳(のコピー)の性能を平準化することもできるようになるのでは?)
(その平準化レベルは人類最高の知能レベルになる?)
(数十億の人類(だったもの)がすべてアインシュタインやフォン・ノイマンといったレベルの知能になったら、さらなる知能の向上も図れるのでは?)
(シンギュラリティーじゃん)
(人工知能じゃないけどこういうシンギュラリティーもありうるな)
(まあ、とっくに誰かが考えてるだろうけど)
(不毛な思考)
(まあすべては不毛なのだが…)
(毛〔もう〕とは?)
(問いの立て方がおかしい)
(まあワーディングはともかく、不毛でないとはどういうことか、みたいな)
(効用を増加させること、みたいな?)
(この日記を書くことはぼくの効用を増加させているのだろうか)
(わからない)
(このぐらいにしておこう)
(そして日常へ…)
というわけで、今週は意識してタオルをシャワー室に持っていくようにした。
昼休みは機能しているシャワー室の隣の機能していないシャワー室で過ごして、最後に機能しているシャワー室に移動してシャワーを浴びるのだが(くどい書き方)、その移動の際に、その二つのシャワー室の前にあるラックにタオルを置き忘れてしまった。
最後の最後に忘れるとは…。
徒然草にそういうのがあったな…。
誰もいないことを確認して裸で体を乗り出してタオルを取って事なきを得た。
(常にkotonakiを使うわけではない)
(気分)
6時前に退勤。
プールに寄って帰宅。
家に着いたのは7時20分過ぎ。
ヨガに行くEとすれ違いになる。
晩ご飯は辛ラーメン(おいしい)。
妻が焼いていた豚肉と、冷凍のほうれん草を入れた。
ゼルダをやりながら子供に晩ご飯を食べさせた。
砂漠の中の祠に着いたところで終了。
寝かしつけの際に子供がなかなか寝ないで、10時40分ぐらいになった。
子供のリクエストで一人しりとりをした。
(なぜか二人しりとりはやりたがらない)
子供にわかる語彙でやると「ル」が本当に「ルビー」ぐらいしかないのですぐ詰んでしまう。
(例えば「流刑」とかは使えない)
単語帳をやっているうちに寝落ちして、ちょっとしてから目が覚めて、単語帳の続きをやってから日記を書き始めた。
ところで、日記が効用を増加させるかどうかはわからない一方、睡眠不足は確実に効用を低下させるわけなのだが…。
(それを言ったら日記は書けなくなるのでは?)
(ぼくは考えるのをやめた)