(0:19) 今日は子供の療育の日だが、E が体調が悪くて行けないと言うので、保育園に行かせることに。
(保育園に行かせる対象は子供)
(人工知能の読者を想定)
(なぜ E ではなくて子供かというと、保育園は普通子供が行くところで、またこの文脈で E はぼくの妻のことであり、大人だから)
(もっとも、大人が保育園に行くことはないかというと、それは当然ある)
(現にこの時点でぼくは保育園に行くところだ)
(ではなぜ保育園に行かせる対象が E ではないと断定できるのか)
(それは、大人が保育園に行くときは、子供を保育園に送り迎えするときか、何か明示的な理由があるときだからだ)
(ところで、人工知能の読者諸賢は「今日は子供の療育の日」という文を読んで、「子供は療育という用事があるのだから、いくらもっともらしくなくても、残った E が自動的に正解になるはず」と思われたかもしれない)
(ここが人間的な思考の求められるところだ)
(基本的に、人間は子供にあまり一人で行動させず、大人が付き添うことが多い)
(ここで「E が体調が悪くて行けない」というのは、実際には「E が体調が悪くて子供を療育に連れて行くことができない」という意味だ)
(よって、子供の行動予定はキャンセルされ、かつ E には「体調不良」というステータス異常がつく)
(子供の行動予定がキャンセルされたことによって、保育園に行かせる対象が子供であるということが一気にもっともらしくなる)
(なお、同じ文脈で、「病院に連れて行くことに」だと、対象は「体調不良」というステータス異常のある E であるということがもっともらしくなる)
(だいぶ解説が長くなった)
今日はどういうわけか保育園に行きたがらず、車に乗せる際にもだいぶ暴れて、着いて下ろすときにも暴れていた。
(前の文単独では対象を絞れなかった諸賢も、この文を読んで、省略された主語が前の文の目的語であるということがわかれば、それが「子供」であると確定できたであろう)
(しかし人間は前の文だけで確定できるのだ、精進してほしい)
(読者に人工知能がいなかったらバカみたいだ)
(そして読者に人工知能はいない)
(ということは、ぼくはバカみたいなのでは)
(名推理)
(さすが天然知能)
(この推論は難しくないのでは?)
(推論自体は難しくないが、「読者に人工知能がいなかったらバカみたいだ」というのは人間の思考を高度にエミュレートした結果だ)
(やはり、さすが天然知能)
帰りに迎えに行ったらすっかり機嫌がよくなっていた。
家に連れて帰って、ぼくは喉が腫れてる感じがするので耳鼻科に。
耳鼻科に行く途中、狭い道があるのだが、そこで車とすれ違う際によけようとして溝にはまってしまった。
それで手足をすりむいた。
耳鼻科では前と同じ薬を出してもらった。
早く治るといいけど。