(21:26) 朝食はホテルで。
フォーがおいしい。
朝、10時ぐらいにホテルを出て、ドンコイ通りを適当に散策。
旅行社があったので、明日とあさってのツアーを予約した。
明日は市内、あさってはメコン川(だっけ?)。
昼食はトリップアドバイザーで調べたサンドイッチ屋。
そこそこおいしかった。
(E は春巻を食べてあまり満足していなかった)
E が疲れたと言うので、ホテルに帰って休む。
(E は育児を休むことが主な目的なので観光はそれほど重視していない)
(ぼくにとっても好都合)
夕方、タクシーで戦争証跡博物館へ。
入ってから気づいたのだが、ここは明日のツアーの行程に含まれていた。
つまり、今日稼げた実質観光ポイントはゼロだ…。
(観光ポイントとは?)
(観光地を訪れると、その観光地のよさに応じて入るポイント)
(これを稼げないとその旅行は「失敗」ということになる)
(なぜそんなことを気にするのか?)
(これまでの人生で身につけてしまった内面化された社会)
(旅行に行くたびにこの「観光ポイント」の存在を意識して、そのたびにそれに影響される自分に疑問を抱く)
(恒例行事)
その後、ドンコイ通りに戻って1万円を両替。
220万ドンになった。
ここなら6億を手にすることも夢ではない。
(現地ではゼロを三つ取った数字を使うことが多い)
その後、またトリップアドバイザー様のご託宣に従ってベトナム料理レストランへ。
(すべてにおいてトリップアドバイザー様のご意見を伺っていると、自分の代わりにトリップアドバイザー搭載ロボットが旅行すればいいのでは、いやそもそも人生自体AIがやればいいのでは、そもそも「生きる」ということは必要なのか、そもそも生命はなんのためにあるのか、宇宙とは… みたいな気持ちになる)
(これも恒例行事)
(頭がおかしい気がする)
着いたときにはレストランがまだ開いていなかったため、隣の喫茶店に入る。
(これはトリップアドバイザーの意志ではない)
(自由意志は存在したのだ)
会計のときに、渡した10万ドン札を突き返された。
見ると、破れたところがセロテープでくっつけてある。
さっき両替したやつだ。
やられた…。
昔の中国みたいだ。
(20年前に中国に留学していたころ、そういうお札が多かった)
(今は知らない)
レストランでは、一人1000円ぐらいの軽いコースを注文。
(日本の感覚では高くはないが、現地の感覚では高そうだ)
野菜ばかりでぼくはあまり食べた気がしなかったが、E は大満足だった。
会計ではさっきの10万ドンを混ぜて出した。
無事に受け取ってもらえた。
まあ、銀行で交換してもらえるという話だから、それほどの悪行でもないはず。
その後は帰ってツイッター。
明日はツアーがあるので早めに起きる。
(本来、この2行の前、「それほどの悪行でもないはず」で止めるはずだった)
(「終わり感」が足りない気がして補ってしまった)
(日記における「終わり感」からの解放を意識して、あえてそういう終わり方をすることもある)
(今日は負けた)
(どうでもいい)