(0:50) 今日は予定通り、子供の発達相談に行った。
担当は心理士? の人ともう一人で、両方女性。
相談をしたのは床にいろいろおもちゃが置いてある部屋。
1時間以上話をした。
子供は最初は泣いていたけど、すぐに適応した。
(といっても、存在に慣れたというだけで、大人に対する働きかけはない)
途中から知能テストのようなものもやった。
しかし、うちの子は「何が要求されているか」というところを全然理解していないようだった。
たまたま要求されていることが本人にとっても面白いこと(穴を通して物を落とすとか)ならやるけれど、そうじゃないこと(コップの中に入った犬のおもちゃの場所を当てるとか)は全然だった。
結果的に、まあ人間に対する興味が少ないというのはあるけれど、今後改善の余地はあるんじゃないかということだった。
(まだ1歳8か月なので、いずれにしても診断が下りるということはない)
言語について、今後日本で育てるなら日本語を教えていくことも考えたほうがいいんじゃないかと言われた。
(前にも書いたけど)ぼくは(自分のことを棚に上げて)子供は普通に発達するものと思っていたので、それならバイリンガルになったほうがいいから中国語で育てて日本語は周囲から覚えさせようと思っていたけど、今の様子を見ると1言語を覚えるのもしんどそうだ。
(子供は1歳8か月だけど、まだ意味のある形で言語を使うことも理解することもできていない)
それなら、やっぱり日本語モノリンガルとして育てたほうがいいんじゃないか。
でも、そうすると E の両親とはコミュニケーションが取れなくなるけど…。
難しい。
今日はこのことがあったのでだいぶ疲れた。
E に「疲れなかった?」と聞くと、「なんで?」という反応。
人と普通に話すのが疲れるという感覚がないらしい。
さすが人間だ。
ぼくはこれまで人間エミュレーションをずっとしてきたのに、「ネイティブ人間」という存在をあまり考えてこなかった。
まあ、周囲の人間がネイティブかエミュレータかというのはあまりぼくには関係がないところなので。
しかし、最近 E という明らかなネイティブ人間を観察していて、実にいろいろな発見がある。
自閉症の本に書いてある「定型発達者」というのは本当にいるんだなぁ、と。
そういえば、ぼくは今日話をした二人の顔を全然覚えていない。
たぶん、別れてから5分後ぐらいには完璧に忘れていたと思う。
これも、E ならそんなことはないんだろうなぁ。