(0:49) 今日は昼から外出して、プールに行ってから地球の京都に行った。
調べてみると、アバンティブックセンター京都店(575)の近くにココイチがあったので、そこでロースカツカレーを食べた。
毎日ココイチのカレーが食べたい…。
適当に本を見てから帰宅。
帰りの電車で R からのラインが帰ってきてちょっと話をした。
R はアスペルガーではないそうだ。
(残念)
まあ、いま読んでいる「自閉症の謎を解き明かす」によるとアスペルガーの男女比は15:1にもなるらしいし、そうめったにいるわけじゃないんだよな…。
R に今の年齢を聞かれて40と答えた。
R の中でのぼくの年齢は34で止まっていたらしい。
確かに、ぼくもそのころ、ちょうど2倍の年齢だなーと思った覚えがある。
(R とぼくは17歳違い)
(17歳違いの男女の友達なんてあるのかという気もするけれど、まあだいたいにおいては友達として接している)
R と最初に会ってから、もう8年にもなるのか。
その前から2年ぐらいチャット友達だったと思うし、それを合わせると10年ぐらいになるかな。
MSN メッセンジャーのログ、とっくに消えてると思うけど、(ほかの人とのものも含めて)ちゃんと保管しておけばよかったかな…。
今日は「良心をもたない人たち」を読み終えた。
「人口の4%はサイコパス」と書かれているのがどうもピンと来ないと思ったら、日本や中国ではサイコパスは非常に少ないらしい。
台湾で0.03〜0.14%だったとか。
診断基準の違いとかもあるだろうけど、それにしても大きな違いだ。
この本を読んで感じたのが、全篇を通しての「良心をもたない人」に対するあからさまな反感。
そして、サイコパスを共感能力を持たない人間として、普通の人間をそれを持つ人間として描写している。
いや、自閉症者も共感能力はないんですがそれは…という気分になる。
まあ、実際のところ、書いてあることを読むだけでもサイコパスと自閉症はまったく違う。
サイコパスは人を操るのがうまいとか。
でも、それならそれで、そういうところに着目してほしいものだ。
ぼくは自閉症(の中で知能が高いアスペルガー)(高いというのは平均より低くないという意味で)(まあ、ぼくの場合は平均よりだいぶ高いはずだけど)だけど、「人にやさしくする意志」と「共感能力」のうち、自閉症では後者が欠けているだけだ。
ぼくにも、人にやさしくしたり、人と触れ合ったりしたいという気持ちはある。
(自閉症の本でも、孤独から来る寂しさを訴える自閉症者の話はよく出てくる)
自閉症者は、良心も薄いところがあると思う。
人間がネイティブに持っているようなものはない。
しかし、それなりに代替機能を実装してはいる。
だから、「共感能力」や「(生まれつきの)良心」のようなものを称揚して、それのないサイコパスを貶める…という構図には恐怖せざるを得ない。
生まれつきの良心はなくても、それっぽいものを何とか実装して何とか生きているというのに。
人間のネイティブ良心だって、あまりろくなもんじゃない。
ネイティブ良心がどれだけ簡単にオフにできるかというのは、今回の人質事件でも実感したところだ。
(「あんなところに行くなんて自己責任だ」と合理化をすれば、「他人の死」という、ネイティブ良心が一番働きそうなところへの感覚すら完全に麻痺させることができる)
そんなものを持っているということをそんなに誇りに思わないでほしい、あと持っていない人間を迫害したりするなと言いたいところだ。