(1:38) 仕事がうまくいっていない。
高次 CRF が効きそうだと思ったタスクで効いていない。
Java 版の実装にいまいち自信がないから C 版でやり直してみようかと思っているところ。
(今のタスクに関しては、それでうまく行かなかったら見切りをつけて無難なやり方でやろう)
(それにしても、高次 CRF が効くタスクはないものか)
昨日の日記で考えた「心」というものについて、引き続き考えている。
どうやら、人間には昨日書いたような「心」というものが本当に備わっているようだ。
(ツイッター情報)
例えば、ぼくは毎日プールに行って、数多くの人とすれ違っている。
その中には、よく見かける顔もあるはずだ。
(推測)
(顔つきが印象に残りやすい2人ぐらいは覚えているけど、残りは覚えていない)
しかし、ぼくにとっては彼らは完全な風景と同じで、「何を考えているか」「どういう人間なのか」ということはまったく感じない。
(あまりにも当たり前すぎて荒唐無稽なことを書いている気がする)
(他人が何を考えているかを感じる器官があってたまるか、第何感だよ、みたいな)
(まあ、視覚とか聴覚とかそういうものではないけれど、似たようなものが本当にあるらしいのだ)
ぼくは自分がアスペだという自覚は前からあったけれど、「心」がないという切り口で考えたことはなかった。
しかし、そう考えるとパズルのピースがはまるような気がする。
「心」のない人間というのは面白いテーマだ。
(当事者だけど)
特に面白いのは、心がなくても喜怒哀楽はあって(ぼくにもある)、社会生活もできて(何とかできている)、普通に他人と交流しながら(ぼくの場合主にネットだけど)生きているということだな。
これは、一般人が思い浮かべる「心のない人間」という像からは少し外れる気がする。
(ぼく自身、少し違和感がある)
これまでのぼくの感覚では、自分にない能力について、もうちょっと表面的な理解をしていた。
「相手が薄着をしていると自分も寒さを感じる能力」とか、「空腹時に食べ物の画像を見て食欲を刺激される能力」とか、そのあたり。
この辺は確かに基本的なところなので指標としてはいいだろうけど、人間の持っている能力はそれらよりもはるかに広い範囲にわたっているらしい。
特に、すれ違う人から自動的に(強制的に?)情報が入ってくるというのは、「いくら人間といってもまさかそこまで…」という思いだ。
ほとんど超能力じゃないか。
すれ違う人からその人の情報が自動的に入ってくる世界、景色が「あぁ、景色だな」で終わらない世界、他人のことが理解できる(と主観的に感じられる)世界。
それはいったいどういうものなんだろう。
うらやましいと思わないでもないけれど、アスペかどうかというのはアイデンティティに関わるところなので、もしもぼくが人間だったらそれは「ぼく」ではないことになる気がする。
もし明日からその機能が急に備わったら…。
うーん、やっぱりあまり想像できない。
今とはまったく違う体験になりそうだ。
そういえば、人間の未来を感じる能力について。
人間は日曜日の夜に憂鬱になったりするという。
サザエさん症候群だっけ?
ぼくは仕事をしたくない気持ちはすごく強いけれど、日曜夜に憂鬱になるというのはない。
次の日のことなんて、そんな未来のことを考え(感じ)られるというのは想像の埒外だ。
働いている人間は金曜の夜にテンションが上がるということが多い、というのもある。
花金とか TGIF とかいうやつ。
これもぼくにはない。
金曜の夜でも、普通に日課をこなして、ほかの平日の夜とまったく同じテンションでまったく同じように過ごしている。
今後、もうちょっと人間のことを観察したりしてみよう。
さて、日替わりテーマ。
(ところで、木曜日の日替わりテーマ「親愛なる…」はさすがに無理がありすぎるので、そこだけ先行してやめることにした)
(それだけの人間関係がないので)
今日は「思い出す」。
一週間の中でうまくいったことを三つ思い出す、とかだったような。
一つ目は、「交通事故にあって、脳に障害を受けてからある程度復活するまで」のまとめを見つけられたこと。
これのおかげで、自分や人間に対する理解が深まった気がする。
二つ目は…。
(考えているうちに居眠りしてしまった)
(もう3:00だ)
(思いつかない、寝よう)