01/22

(1:03) 初っぱなからネットの話。

(リアルでイベントがなさすぎるので)

 

昨日、未来のことが考えられないというアスペの特徴について書きながら、事故か何かで脳がダメになった人の話を読んだことを思い出した。

その人が回復する前の世界が、ぼくが普段見ている世界にそっくりだと思ったのを覚えている。

 

ツイッターで聞いてみた。

 

すると、すぐに「交通事故にあって、脳に障害を受けてからある程度復活するまで」という Togetter まとめだとわかった。

(ソーシャル検索すごい)

(しかし、実際は "脳 回復 site:togetter.com" で独自に見つけていた)

 

この Togetter まとめは消えている。

Internet Archive で探したらあったけど、リダイレクトがかかってしまう。

キャッシュをダウンロードして、ソース内から引用文を抜き取って検索すると、tumblr に転載している人が見つかった。

http://magazinex.tumblr.com/page/3

これで全部読める。

ありがたい。

 

読んでみると、改めて「心」というものについての洞察が深まる思いだ。

片っ端から引用する。

あぶないわ、胸の痛みでしにそうやった。看護師さん、色々していただいてありがとう!

やっぱ出来んことは多いな。なにかうまくいかん時、繰り返すことが多い。そらうまく行くわけないのはわかるけど、違う方法を考える余裕がないな。

毎日言ってるらしいけど、かなりよくなった。事故にあうまえ、何を考えて仕事をしてたとか、思い出せるようになった。

顎の怪我。一ヶ月以上たってるからかなり治ってる他に外傷はないから、ここに当たったのが脳に強いダメージを与えたらしい。先生曰く。 ヘルメット、関係ないやーーん!!!

というわけで、他者を思いやる心が戻った。すごい広がりや。

明らかに想像力が戻ってきた。 なんという事か。すげえな。昨日までそんな機能なかったのに、起きたら戻ってるとか。すげえ。マジで

妻には心配をかけた。本当に。 そういうことが想像できるようになった。

本当に心ってのは大脳の新皮質にあるんやわ。そうやなきゃこうならんし、戻っても来ない。すげえな脳ってのは

すごいな。あと、物事を成し遂げる決意も、低いレベルのとこにある。真ん中らへんにあるということ。 心より先にあるんだわ。

というわけで妻をおもいやる能力がもどった。いままですまんかった。よく頑張った。

他の人がなにかんがえてるかってのは相当高度な機能や。でも生きて行く上で欠かせない機能やな。
@ ... いや、元に戻るだけだよ。脳の構造とか感情がどこに基づいてるかとかが分かった。でも俺は論理的な思考の部分が失われてなかったから、体験をリバース・エンジニアリングできる。
それ以外にも、戻ってくるのは起きたあとが多かった。突然良くなる。論理的な思考が戻った時もそうだった。何度かあったけど、どれも突然だった。
朝起きてからは、誰かの手の動かし方を見るだけで、その人の性質が瞬時にわかるようになった。まあふつうのコトなんだけど、今までできなかったから。
それまでは人ごみの中を歩くとかは苦痛だった。何を考えてどこへ向かっているかわからなかったから。やるとしたら論理的な思考で考える必要があった。でもそれは時間が掛かるから立ち止まらないとできない。
あとは自分から話かけるのは難し買った。できなくは無いけど、本質的に他人のことがよく理解できていなかったので、「最近どう?」とかそういうのしかできなかった。
今は、戻ったから、自分から喋ることも、質問もそれなりに的を得てると思う。そもそも心に余裕があるから暴走しにくい。
でも何かを成し遂げる決意が本能に近い部分にあるのは驚いた。最初に動いたのはそこだった。僕の場合。あとは愛。
つーか思いやる脳の部位と、自分にリミッターをかける部位は一緒なんだと思う。 自分にリミッターをかけるのは他者を思いやるからやわ
ああ、スゴイな。もう心がなかった頃の気持ちというか感じを忘れつつある。本当に心ってのは強力やわ。それ以前はこんなことなかった。
今までは過去になるというか、忘れるとかそういう感じだった。でも、心がかえってからは「過去」になってる。すげえわ。心の機能は本当にすごい
あとは自分の今後も状況に基づいて想像できるようになった。今までは希望だったり、確定的な現実だったりした。こんなにちゃんと想像はできなかった。
ご飯が美味しくなくてもっとうまいものがってのも心の機能やないかな。昨日までそんなことおもわんかった。美味しくな。食べんとこでおわったから。心というか、他者の気持ちを考える機能か。
@ ... きっと、論理的な思考は戻っていて、心が帰ってきてないひとっては多くないし、僕は論理的な思考がかなり得意だったし、自分をリバース・エンジニアリングできるのが稀な例だと思います。
@... 本当に妻には心配とか、心がもどる前、僕がひどいことをいいました。迷惑をかけた。でもそこにいてくれたから。本当にありがたい。
おお、今何かが戻った気がする。なんだろう。かなり、微妙なところが戻ったな。楽しむ余裕とかか???
ああ、わかった。 芸術を理解する心や。 すげえ。豊かな心やな。 あと、平穏や。心の平穏が帰ってきたんやなきっと。
ああ、でも明確に戻ったかどうかよくわからん。儚いものなのかもしれん。他の心の準備が整ってないと、発現しないのかも。
しかし、平穏と芸術を理解する心が同じところにあるとは驚いた。マジや。でも色々条件が揃わんと発現しない。
やっぱ、美しい景色とかをみたときに、今まで失われてた、平穏というか、心の落ち着きとか、充実を感じるようになった。すごいな。
これは多面的な見かたなんやな。 同じものをみても心のありようで感じる事がちがうんや。 今までは、一通りしか見ることができんかった。景色なら、「おう、景色やな」って感じ。 今はそこに人々の息遣いとか、広がりを感じることができる。
普段,科学的に心は脳が作り出していて,脳の特定の部位がダメージを受けると特定の機能が失われると考えている しかし,実際にそれを聞いたりすると言葉を失ってしまうのは,やはり我々が科学を気取っていても,「心」が何かもっと違う複雑ものであると思っているからだろう・・・・
なぜなら、なにもしなくてもそこにあるのが心だから。 僕は一度すべて失って、だんだん戻ってるから、それが何をしてるかわかる。それは感動的なことです。圧倒的な力です。
僕が良かったのは、事故前、脳の事をそれなりに勉強してたのと、エンジニアだったことかな。 今この機能がもどったって解析できるのは論理的に考える力が失われていなかったから。
@ ... エンジニアたらしめる何かは、感情よりも前にある? それとも、たまたま損傷を受けたのが感情を含む部分で、エンジニアたらしめる部分が損傷を受けなかった?
@ ... 心より前に、論理的に考えるはあります。起きた時から論理的に考えたり、誰かの気持ちを考えたりはできました。でもこいつらは本当に時間がかかる。 心は本当に速くて、ほぼ自動的に同じ機能をします。 僕にとってはそれはすごく楽です。
そのせいで、あとから、自分の発言を悔やんだり、誰かの言葉に支配されたりしました。でもそれはかなり時間がたってからです。脳が考えて、やっと分かるくらい。 心は瞬時にそれをします。すごく速いです
@ ... なるほど、他人の気持ちを考える事は論理的に可能だけど、心があれば論理の手順を踏まずにそれが分かるという感じですかね。それを体感するとか、物凄い体験をされてるのですね…。
 @ ... ただ、すれ違ったり、人ごみでみた人のことは考えてもわかりませんでした。 人の心のが想像できる機能が戻った時に、それは戻りました。手の動かし方とか、歩き方でその人の目的や、人となりが想像できるようになった。 しかも一瞬でできるのがスゴい。

すごい量になった。

(文句を言われたらローカルに保存して消そう)

ぼくにとっては、「人間の心ってこんなふうになっているのか」という新鮮な発見がある。

 

ぼくはこういうシステムになっていない。

「論理的に考える」の部分だけのモノリシックなシステムだ。

他者を思いやる心、想像力、他人を直感的に理解する能力、状況に基づいて自分の今後を想像する能力、芸術を理解する心、人の心を想像する機能…。

これらはすべてぼくにはない。

要するに、この人が「心」と称しているようなものはぼくには何もない。

 

「心がない」という状況は(普通の)人間には伝えにくそうなところだ。

それって人間なの?

喜怒哀楽がないってこと?

みたいな感じで。

 

しかし、このまとめの回復前の部分を見せたらわかってもらえそうだ。

例えば、この部分は「心」が帰ってくる前のところだ。

あぶないわ、胸の痛みでしにそうやった。看護師さん、色々していただいてありがとう!

 

なぜ「心」がないのに「ありがとう」のようなことが言えるのか?

それは、本人が書いているように「論理的な思考の部分」があるからだ。

何かをしてもらうと「ありがたい」と思うべきだということは論理的に考えられる。

だから、心がなくても「ありがとう」とは言える。

 

ぼくが特に共感するのは次のあたりだ。

あとは自分から話かけるのは難し買った。できなくは無いけど、本質的に他人のことがよく理解できていなかったので、「最近どう?」とかそういうのしかできなかった。
これは多面的な見かたなんやな。 同じものをみても心のありようで感じる事がちがうんや。 今までは、一通りしか見ることができんかった。景色なら、「おう、景色やな」って感じ。 今はそこに人々の息遣いとか、広がりを感じることができる。

ぼくは、常に「本質的に他人のことがよく理解できていな」い状態だと思う。だから、自分から話しかけるというのは常に難しい。人間の内部の思考回路なんて本質的にわかるはずがないじゃないか。(というのがぼくの考え方なのだが、「心」があるとそれを「感じる」ことができるようだ)

 
ただ、すれ違ったり、人ごみでみた人のことは考えてもわかりませんでした。 人の心のが想像できる機能が戻った時に、それは戻りました。手の動かし方とか、歩き方でその人の目的や、人となりが想像できるようになった。 しかも一瞬でできるのがスゴい。

さすがにこれは、この人間のインスタンスが特に感受性の豊かな個体なんじゃないかと思える。
「すれ違ったり、人ごみでみた人」のことについて、何かを想像できたりするのか?
ぼくにとっては、「すれ違ったり、人ごみでみた人」というのは背景とまったく同じだ。
「手の動かし方とか、歩き方」なんて、そもそも目にも入ってこない。

まあ、この人は感受性がある側の極だとしても、一般的な人間はぼくとこの人の中間あたりにいるんだろう。

E と買い物に行ったりすると、E が店員の特徴を覚えていたりすることにびっくりする。
どんな人だったか、ということ。
(ぼくはまったく興味がないので、E がどういうことを覚えていたかということも覚えていなくて再現できない)
ぼくは、せいぜい性別・人種ぐらいしか覚えていない。
(白人や黒人ならその事実はデジタルにエンコードされて脳に残る)
場合によっては性別すら怪しい。
「さっき会計したレジの係の人、男だった? 女だった?」と聞かれたら、毎回正解できる自信はない。
この質問は、人間にとってはあまりにも簡単すぎるものなのだろうか。
(たぶんそうだ)

しかし、喜怒哀楽がないかというとそうではない。
この人も、「心」が回復する前にも怒ったりしている。
ぼくだって、(この人の言う)「心」はないけれど、怒ることはある。

他人の気持ちを考えることだってできる。 しかしそれは、

@ ... 心より前に、論理的に考えるはあります。起きた時から論理的に考えたり、誰かの気持ちを考えたりはできました。でもこいつらは本当に時間がかかる。 心は本当に速くて、ほぼ自動的に同じ機能をします。 僕にとってはそれはすごく楽です。

 「時間がかかる」うえに、直感的でないので確信に欠ける。
「本当に速くて、ほぼ自動的に同じ機能を」する「心」というものがほしい気もする。
(そこまで真剣に願っているわけではない)
(「心」がないから?)

 

これは多面的な見かたなんやな。 同じものをみても心のありようで感じる事がちがうんや。 今までは、一通りしか見ることができんかった。景色なら、「おう、景色やな」って感じ。 今はそこに人々の息遣いとか、広がりを感じることができる。

「おう、景色やな」というのはぼくの感じ方だ。
「人々の息遣いとか、広がり」なんていうものは感じるすべがない。
 
少し寂しい。
(「心」がないからといって、すべての感情がないわけではないのだ)
 
改めて、アスペ仲間(ネット友達のそうめんはたぶんそうだろう)を大切にしよう…と思った。
(「大切にする」というのも、論理的な部分でできることだ)
(「心」というのは、すべての「実感」が絡むのだろう)
(ぼくは生きている実感というものが(持ったことがないからわからないけど)ないのだろう)
 
さて、今日の日替わりテーマは…。
苦手な「親愛なる…」か。
まあ、心のない生き物にとって苦手なのは当たり前だな…。
 
元々は「自分の人生に欠かせない、大切な存在を思い浮かべる——自分の伴侶、親友、家族など」へのメッセージということだけど、もう使い尽くしたので、話に出たそうめんへのメッセージにしよう。
 
そうめんは長い付き合いのネット友達。
元々は 2chメッセンジャースレで知り合ったんだけど、最近はネットでのやりとりはあまりない。
近くにいるときにたまに会う。
自殺の話をしたりする。
(自殺したいと言っても心配したりされたりしないから気楽だ)
 
メッセージは「友達でいてくれてありがとう。あと、妻が入院するときの保証人になってくれてありがとう。」ということで。
(ぼくはリアル友達がいないのでそうめんに保証人になってもらった)
 
そういえば、長い付き合いだけどずっとハンドルネームで呼んでるな。
ほかに長い付き合いのネット友達は北海道の C と滋賀の R がいるけど、どちらも実名ベースに移行したのに。
 
寄生獣の「名前なんてどうでもいい」というセリフを思い出した。
考えてみると、これが印象的なセリフになるということは、人間にとって名前とはどうでもよくないものなのか?
(気づくのが遅い)
(ぼくにとってはどうでもいい)
(明日から例えば「田中一郎」という名前ということになったら普通に適応できると思う)
(あ〜るネタ)
 
そういえば、このあたりは日記じゃなくてブログネタにしてもいいところだったな。
「知られざるアスペの生態」みたいな感じで。
(広く知らせても別に何もいいこともないけど)
 
でも、いま消えてる Togetter からの引用だらけ(しかもそれがないと成り立たない)から難しそうだ。
やめておこう。