01/03

(1:29) 正月時空が終わってしまった…。

(正月時空とは、12/31から翌年の1/3までの、曜日を持たない4日間のことを言う)

 

今日は初詣。

というわけで、午前中のうちに春日大社に行くことに。

駐車場が見つからないのではないかと懸念していたが、着いてみると普通に春日大社の駐車場に入れた。

1000円。

 

しかし、人が多い。

1時間ぐらいはかかるという。

それで、子供が我慢できないだろうということで参拝は中止することに。

ぼくの2015年は終わった。

 

その後、夕方になってから石上神宮に行ったけれど、渋滞もあって着いたのは5時過ぎ、すっかり暗くなってからになってしまった。

こちらは時間帯もあってか、人も少なく並ぶこともなかった。

おみくじを引いた。

中吉。

 

そういえば、どちらの神社にもお守りを処分するコーナーみたいなのがあって、E は手持ちの古いお守りをそこに持っていって処分しようと言っていた。

人間はお守りを処分しにくいみたいなことは聞いていたが、実際に触れるとやっぱり驚く。

特定の宗教を信じていない人間でも、宗教心のようなものがあるというのは本当だな。

ぼくはお守りに対しては何も感じないし、これまでもお守りをいくつ捨ててきたかわからない。

(じゃあなぜ買うのか? というと、それは人間が気分で名産品の小物を買うのと変わらない)

(しかし、お守りの「効果」については1ミリも信じていない)

(現代の合理的な人間としては当然だと思うのだが、どうも現代の人間は一般的にあまり合理的ではないらしい)

(ぼくが初詣に行くのも、年越しそばを食べるのと同じでフラグ立てのようなものだ)

 

そういえば、昨日の感想(?)についてツイッターで返事がもらえた。

だいたい納得。

(どうせ書くならポジティブな感想を書きたいところなのだが)

(ぼくの場合、本を読むことによって得られるポジティブな影響は、言語化されることなく有益さとして残るだけだ)

 

ところで、その連続ツイートのふぁぼを見ていて、ある立派な人間のアカウントがあるのに気づいた。

ネットによる世界のフラット化の影響で、立派な人間と間接的につながることが多くなっていることを実感した。

 

(ここから先、これまでの日記と重なるところも多いかもしれないが、何回も書くうちに考えがまとまるところもあると思ってそのまま書く)

ぼくはどうも、立派な人間(一般)と相性が悪い。

というのは、立派な人間というのは育ちがまともで、その人間にとって信頼できる人間から受け継いだ個別倫理ミームをいろいろと持っているからだ。

そういう人間からは、いつどこでどの倫理ミームによって悪く思われるかわからないので安心できない。

立派な人間(一般)というのは、例えば箸の持ち方のようなそれ以上ないぐらいどうでもいいところで人を判断したりするものだ。

(ぼく自身は箸の持ち方は普通だ)

(立派な人間(固有名詞)については知らない)

 

ぼくは育ちが悪いので、(成人するぐらいまで)誰かを信頼したこともないし、そのため倫理ミームもひとつも受け継いでいない。

だから、いま持っている道徳は、全部自分で原則から考えて導いたものだ。

道徳について - アスペ日記

人をなぜ(同意なしに)殺してはいけないのかといったことも、「ある人間Xに関わることをするのにXの同意を得ていないから」と簡単に導ける。

 

一般には人間は、ビルトインの機構を利用して倫理を運用している。

だから、ぼくは元々人間一般と相性が悪いことになるのだが、普通の人間はあまり倫理体系の完成度が高くないので、エミュレーションが簡単だ。

 

しかし、立派な人間というのは、適応的な倫理システムを受け継いでさらに独自発展させているので、つぎはぎのシステムなのに完成度が高い。

すると、エミュレーションの限界を超えてしまうことになる。

 

そうなると、「理解できないものへの恐怖」という感情が出てくる。

(これは一般には人間がアスペに対して持つものだと思うが、アスペにも同様の感情はある)

ぼくはいま「人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か」という本を(とある経緯によって英語版で無理して)読んでいるけど、例えば、「人間の能力は平等である」と信じているような立派な人間(この本にはそういう人間が山ほど出てくる)がこの本を読んで、知能の遺伝といった「不都合な真実」を突きつけられたら、どう反応するんだろう? と思ったりする。

ありそうな反応は「無視」だ。

 

この「無視」というのは、ぼくにはまったく理解できない機構なので怖い。

不都合な情報を選択的に「見なかったことにする」ということを無意識に行う「自己欺瞞能力」。

幸か不幸か、ぼくにはこの能力がゼロだ。

入ってくる情報は、都合がよかろうと悪かろうと、処理せざるを得ない。

 

例の本にも、自己欺瞞能力については書いてあった。

自分を騙すことができる人間はブラフがやりやすくなる(態度によってバレることがない)とか。

(あまり正確に覚えていないかもしれない)

 

まったく、人間のことを考え始めると厄介だ。

今日はこのぐらいにしよう…。