(0:28) 今日は一日のんびりしていた。
初詣は明日ということに。
主に子供と遊んだりしていた。
iPad mini のカメラアプリでシャッターボタンを押すのが好きなようで、押して画面がフラッシュしてカシャッと音が鳴るたびに声を上げて興奮している。
連続で押されると削除するのが大変なので、ボタンを押すとちょっと離すという戦略でしのいでいる。
今日は何もしなかったので書くことがない…。
藤元杏のことでも書こうかな。
(というのは、著者がチェックして読んでくれる可能性が高いからだ)
(商業出版された本についての感想を著者が読んでくれるというのは特別なことのように思える)
(しかし、かなり売れたはずの新書についての感想を以前つぶやいたとき、著者からリプライが来て驚いたことがある。エゴサしているのだろう)
(そういえば、ツイッターはいろいろな敷居を下げているようで、山形浩生さんの訳した本についての疑問を山形さん本人にぶつけて答えがもらえたこともある)
(昔は、書店に並ぶ本の著者というのは雲の上の存在で、印税収入が年千万単位であって、当然のように専業で書いているものだと思っていた)
(しかし、吉野さん始め TL の作家の人たちは、いわゆる day job を持っている人が多いようだ)
(世知辛い)
ところで、自分のできないことについて批評をするというのは危険なことだ。
「じゃあお前が書いてみろ」的な反応を呼び起こすことがあるからだ。
(これは、知り合いの絵について批判的な(批判的であると相手に受け取られた)ことを言ったときに起こったことだ)
(悪く言うという意図ではないということを一応表明しておく)
1. 微妙な読みにくさ
「禁止はされているものの廊下を土足で横断することも可能だ」のところで、ちょっとした読みにくさを感じた。
「禁止はされているものの」が先に来ると、何が禁止されているか(「廊下を土足で横断すること」)を読むまでちょっと負荷がかかる。
(ついでに読点を入れて)「廊下を土足で横断することも、禁止はされているものの可能だ」のほうが読みやすいとぼくは思う。
(しかし、常に読みやすさを追求するべきとは限らないだろうし、これはあくまでぼくの感じ方だ)
(予防線)
次の「私たちも土足なのでなるべくコンクリートの廊下に土がつかないよう横断して芝生に出る。」も、個人的には「なので」の後に読点があったほうが読みやすい。
「三年生の階だけど受験生でもある彼らは、部活動をしている生徒以外すでに帰宅しているのだろう」
ここでは、「彼ら」が「三年生の階」の内部の「三年生」を受けているので微妙にひっかかった。
(しかし、代案はない)
それと、「(高校)三年生」が「受験生でもある」ことは日本では常識なので、「だけど」という逆接なのもちょっとひっかかる。
「お兄ちゃんが中学生の時に祖母が亡くなり東京の大学に進学してから、両親はすでに他界していて他に身寄りもいなかった彼を、彼の家の古い知り合いであったお父さんが身元を引き取ったのだ。」
これは理解に時間がかかった。
「お兄ちゃんが中学生の時に祖母が亡くなり」だと主語は形式上「祖母」になるので、「お兄ちゃん」を受けて「東京の大学に進学」を持ってくると認知的不協和が一瞬生じる。
もうちょっと文を分けるなどしてくれたほうがわかりやすいと思った。
(わかりやすさがすべてに優先するわけではないけれど、とまた予防線)
それと、「両親がすでに他界していて他に身寄りもいな」いなら、中学生から大学進学までどうやって暮らしていたのか気になった。
(何か読み間違えているだろうか?)
2. 表記
「ハンバーグの入っていた器を通路側に避(よ)け」
これは、あえて漢字で書くなら「除け」じゃないだろうか。
(もっとも、「除ける」では「のける」と紛らわしいので、ぼくなら平仮名で書くけど)
そのほか、「私達/私たち」、「恐い/怖い」、「つまむ/摘(つま)む」なども気になった。
(文脈に合わせて変えてあるだろうと思われるところはあるし、これらもその一部なのかもしれない)
(そもそも、こういうところは普通誰も気にしないところだ)
3. その他
個人的には一ノ瀬先輩の条件が便乗して幽霊騒ぎを起こすということだったというところの理解に時間がかかった。
でも、これはぼくの理解力の問題という気がする。
それと、「正面玄関が北側にあるので北棟と南棟と呼ぶのがよいだろうか。」のところ、西棟と東棟じゃないのかと思ってしまったけれど、イメージがうまくできていないのだろうか。
最後に、(一番肝心なところかもしれないけれど)炭酸カルシウム・電波実験・プラネタリウムのスイッチという流れは、ぼくの感覚では成功確率が(高く見積もっても)100万分の1ぐらいという気がしたので、(その他の方法を合わせて)100回単位の試行回数でうまく行くようには思えなかった(発動するものがあったとしても、それがこれである確率は現実感を持つには低すぎるように思えた)。
さらに、学校の中で100人単位の人間が(ある程度)秘密のことに従事するというのもあまり現実感がなかった。
(もちろん、小説である以上、現実感はひとつの要素に過ぎないけれど)
いろいろ書いたけれど、総合的には気に入ったので二冊目を買った。
楽しみだ。