12/23

(1:09) 今日は E と子供が帰ってくる日。

日課(SICP、スペイン語単語)を夜になる前に済ませて、4時ごろに家を出て、スポーツジムの風呂に入ってから難波へ。

 

難波では、まずはジュンク堂へ。

いろいろ本を見た。

今回は珍しく店頭で本を買った。

(いい条件の古本がなかったので)

 

晩ご飯は、世界第二の美食モスバーガー

(この日記は自分向けに書いているものだが、それ以外の読者としても地球人を想定しているので第一は書くまでもない。第三の美食はスシローだ。最近食べる機会がない)

 

難波駅で E と子供を迎える。

特に変わったことはない。

電車で帰宅。

 

家に入るなり、E は家の状況についていろいろと文句をつける。

ぼくなりに食器や本を片付けたりしたのに。

E は悪いところばかりを言うタイプだ。

どういう対応をしたら関係がよくなるかとか、そういうレベルで考えてくれればいいのだが、それは期待できない。

まあ、しょうがない。

ぼくはこの結婚をした時点で、精神的には一生一人でいることを選んだようなものなんだろう。

 

改めて、ぼくの人間としての人生が再び閉じたことを感じた。

カイジ風)

ここから先は悲惨の一語…。

 

気を取り直して。

ゴミためのような人生でも、今すぐ死ねるわけではない以上、少しはマシなゴミためにしたいところだ。

昨日の続きをやろう。

 

「火曜日:幸せな時間を思い出す」

 

実際のところ、ぼくはほとんど幸せな時間というものがあったことがない。

(図書館と女友達時代を含め)

(あのころも、あまり女友達(M)に心を許していたわけではなかった)

(向こうは好きでいてくれたんだけど)

(人生でリアルな異性に異性としてちゃんと好かれたのはこの一回だけじゃないだろうか)

 

幸せな記憶というと、該当しそうなものはひとつぐらいしかない。

 

大学時代、後輩に R ちゃんという子がいた。

とてもしっかりした(ように見える)(後から考えると不安定なところもいろいろあった)(だからこそ縁ができたのだろう)子で、いろいろ変わっていたぼくのことを温かい目で見てくれていた。

 

R ちゃんの同級生に N ちゃんという子がいて、当時のぼくは N ちゃんが好きだった。

しかし、N ちゃんは実はほかの人と(今で言う)セフレみたいな関係(彼女のいる相手と関係を持っている)にあった。

詳しい経緯は忘れたけれど、ぼくはそのことを知って、かなりのショックを受けた。

それで、(これもどういう経緯かは忘れたけれど)N ちゃんの住んでいた家(玄関がひとつで、いくつかの部屋があるような賃貸の家)(詳しいことはよく覚えていない)に行った。

ベルを鳴らすと、同じハイツに住む R ちゃんが出てきてくれて、N ちゃんはいないと伝えてくれた。

 

ぼくはかなりショックを受けていたので、R ちゃんに話を聞いてもらいたくて、喫茶店まで付き合ってもらった。

話を聞いてもらっているうちに涙が出てきて、みっともないから泣かないようにしようとしたけど、止まらなかった。

でも、R ちゃんは気にせずそのまま待っていてくれた。

 

その後、R ちゃんはそこの近くの公園に散歩に誘ってくれた。

いろいろ雑談のような話を振ってくれた。

それでやっと少しずつ落ち着いた。

そのとき R ちゃんがやさしくしてくれた安心感は、今でも心に残っている。

 

その後ぼくは、R ちゃんのことを慕うようになった。

(R ちゃんは一学年下・三歳年下だったけど)

ぼくの人生の幸せな記憶はその時期の分しかないし、今後も増えないだろう。

 

ぼくはそれまで誰かに愛着を持ったり誰かを信頼したりしたことはなかったので、このときの経験がぼくの(わずかな)人間的な部分の基礎になっている。

このことがなかったら、ぼくはずっと愛着とか信頼とかの意味がわからないままだっただろう。

 

テーマに沿って書くというのが、だいぶ長くなった。

そういえば、このことはちゃんと書いたことがなかった。

(今回のバージョンもいろいろあやふやだけど)

 

このことがあるので、「愛着を持てるような親に育てられていたら、ぼくももう少しは人間的に育つことができたんじゃないか」みたいに思うこともある。

しかし、いろいろな証拠から、ぼくがかなりアスペ的だということもわかっている。

昔のぼくは相当心を開きにくい子供だったはずだ。

アスペでも養育者に恵まれれば少しは幸せになれるのかもしれないが、ぼくの場合はそういう奇跡が起こらなかったというだけのことだろう。

(姉による虐待とかいろいろあったけれど、幼少時代に正しい環境の代わりに間違った環境があったという場合、悲劇の9割は正しい環境がなかったということで、間違った環境があったということは1割でしかないように思える)

(正しい環境がなければちゃんと育つことができず、それこそが悲劇なのであって、虐待があるかどうかは(それに比べれば)小さなことだ)

 

テーマからだいぶ膨らませすぎて遅くなってしまった。

でも、幸せな記憶を思い出すというのはいいことのように思える。

(来週以降のネタがないのが残念だけど)

 

また明日から、人生でない人生が続く…。

(明日はクリスマスイブだけど、別に何もしない)