11/28

(2:06) 疲れていたためか居眠りしてしまって遅くなった。

日記を軽く書いて寝直そう。

疲れは昨日の出張の名残だろうか。

 

あさってから香港に行く。

約一週間滞在。

 

明日の土曜は特に予定なし。

 

そういえば、明日(というか今日)はぼくの誕生日だ。

(いつもツイッターでは「家族の一人の誕生日」とか書いてごまかしたりする)

(「おめでとう」とか言われるのが面倒)

(まあ、これをツイッターに流しても見にくる人はそれほど多くないだろうし、「おめでとう」と言われることをあまり望まないということまで書けるからいいか)

40歳の誕生日。

 

よく書くことだが、ぼくは年齢相応の成長ができていない、というかあまり「人格の成長」という概念がない。

人間はメインの思考回路自体に可塑性があって年齢とともに変化していくのに対し、ぼくはメインの思考回路は常に一定で、そこに置くソフトウェアを意識的に更新したりしている。

 

今のソフトウェアは、「道徳について」で考えたバージョンの道徳に基づいている。

ずっと昔のバージョンでは、完全利己主義(どういう言動を取ればどう思われるといったところを含めて、総合的に自分の利益を最大化するようにする)だけで動いていた。

しかし、完全利己主義は計算量が大きすぎる(他人に対して取った行動が自分にどう返ってくるを考えるには世界全体のシミュレーションが必要で、これを個人の脳でやるのは明らかに無駄だ)ので、平時用の近似アルゴリズムの模索をしていた。

 

初期の近似アルゴリズムは、「関係者全員にとって利益が最大になるようにする」というものだった。

こうすると、計算対象を世界全体から身の回りの狭い範囲に減らすことができ、また「自分」という特異点がないので計算が楽になるし、他者との利害調整(「こうしたほうがみんなにとっていいから」等)もスムーズだ。

(近似アルゴリズムなしで他者との利害調整をするのは悪夢だ)

 

しかし、このアルゴリズムでは関係者全員の利害をシミュレートしないといけないし、利他的になりすぎて最適解(完全利己主義)との差が大きくなる。

 

そのため、脳内で「道徳」もどきのミームをある程度自由に成長させていたのだが、それを意識的に整理したのが上の記事のミームだ。

つまり、「他者に関係すると自分が判断することを実行する前に、その他者とコミュニケーションを取る」「他者に関係すると自分が判断する情報を、その他者に伝える」という道徳。

 

今から考えると、この近似アルゴリズムには「関係者の利益最大化」より優れているところが多い。

まず、他者の利害関数をシミュレートする必要がなく、さらにそれを正当化できるということ。

「わからないから聞きました」と言えばいい。

すばらしい。

 

さらに、他者の関係しない範囲では自己利益最大化ができるので、「関係者の利益最大化」よりもずっと最適解(完全利己主義)との差が小さくなる。

 

最後に、このアルゴリズムでは「嘘をつく」ということがないので、複数の世界設定を切り替える必要がない(嘘をつくとそれをする必要が出てくる)ということもある。

(「関係者の利益最大化」では、「嘘をつくべき」という判断になることもある)

(そうすると自分の思考回路への負担が大きいが、一般的に「自分の思考回路への負担」を計算に入れると計算量がひどいことになるので、その計算はできない)

(といっても例外はあり、思考回路への負担が大きいときには適宜計算を打ち切ることもある)

 

まあ、いろいろと書いたけれど、結局は「人格部分が成長するということはない」、つまり「年相応の人格にならない」ということが書きたいだけだ。

しかし、人間を見ていると、自分の特殊な経験(人間の経験は当然それぞれ特殊だ)から一般化をするということを続けていくため、年とともに傲慢・偏屈になるというパターンが多いようにも見える。

 

人格が年相応でないというのは、「人間が期待する行動を取りにくい」ということで面倒ではあるのだが、まあそれは元からある。

それに、今は日常的にコミュニケーションを取るのはツイッター上の存在がメインで、そこでは年齢はあまり関係ない。

 

たぶんこれから先も、この生き方は変わらないだろう。

というわけで、あと10年たっても20年たっても、こういう人格(人間の基準からすると「子供っぽい」と思われてもおかしくない)のまま生きることになる。

そのあたりについては、だいぶあきらめがついてきた。