10/08

(0:55) 今日も Pike Style の翻訳をした。

やっと終わった。

(まだ公開していない)

その間、SICP の翻訳を休んでしまった。

今回の件で翻訳について思ったことを書いて記事にして、それと同時に公開しよう。

 

この件では、最初ひどい翻訳が流れてきて、そのひどさに義憤を覚えてケチョンケチョンに書いたら、訳した人からツイッターでメンションが来たという経緯がある。

まあ考えてみると当たり前なのかもしれないけど、ひどい翻訳とはいっても、訳した人からすると精一杯良心的にやっているということもあるんだというのを実感した。

もし自分がそういう翻訳を流していたとしたらそれはとんでもない手抜きのはずだという考えから、そういう翻訳は手抜きだと思い込んでいたフシがある。

 

自分では気づきにくいけれど、この前ツイッターで別の人(翻訳センスがある人)が POSTD の翻訳を dis りまくっていて、それを見て自分を振り返ったということがある。

ひどい翻訳というのは、たいていの場合、訳者のセンス不足によるものであって、意図的なサボりであるというのは少数派なのかもしれない。

ハンロンのカミソリとかいうやつか。

 

今回の件で、外国語の構文解析ができる人間の割合というものを真剣に考えさせられた。

ぼくはけっこうナイーブに、そのタイプの人間は少なくとも数割はいて、そういうタイプの人が翻訳をやれば問題は起こらない(しかし業界が腐っているのでセンスのある人間が評価されないのでそうなっていない)はず、というふうに考えていた。

でも、それには特に根拠はない。

ひょっとすると、外国語を読んで母語に近い感覚で構文解析ができる人間というのは、人口比で1%もいなかったりするのかもしれない。

(ん、1%もいれば翻訳者には十分かな?)

(もっと少ないかもしれない、1%という数字にも特に意味はない)

 

で、Pike Style の件では誤訳指摘のエントリを書く予定(流れ上)だけど、それにどれだけの意味があるのかわからない。

「人間には外国語の構文解析ができるタイプとできないタイプがある」と主張して、じゃあできないタイプは翻訳をするなというのか? ということになる。

本音を言うと、そう言ってしまいたい気持ちもある。

特に、センスのない人間がどれだけひどい誤訳をするかというのを実感した後の今は。

 

難しい。

まあ、とりあえず淡々と誤訳指摘をするエントリを書いて、それから何を付け加えるか考えよう。

 

Pimsleur 東アラビア語はレッスン 1 からやり直すことにした。

遠回りにはなったけれど、同じ言語のレッスンなので無駄にはなっていないはず。

レベル1(30課)の間は、1日に 2レッスンずつ進めていこう。

まあ、語学の勉強は Pimsleur 3レベルが終わってからが本番だけど。

あと2か月半後ということになるな。