09/17

(0:56) 今日もSICPの翻訳の続きをやった。

 

それにしても、気が遠くなるような量だ。

まだ前書きすら終わらない。

ちょっと量を調べてみたら、英語版は20万単語ぐらいある。

 1単語10円でも200万円だ。

それを無料でやるのは200万円の無償労働だ。

時間で言っても、1時間たとえば200単語としたら1000時間分。

(だいたい、この本はLispの教科書という色合いが強いけど、ぼくはそこまでLispに興味はない)

SICPを軽く読もうと思ったら、そこにあった訳がひどすぎたというだけ)

(まあ考えてもしかたがない、やりたいときにやりたいだけやろう)

 

ところで、昨日書いた "For all its power, the computer is a harsh taskmaster." の構文、意外と? 知らない人が多いようだ。

これは逆接だ。

「コンピュータは強力だが、厳しい親方でもある」ぐらいの訳になるだろう。

 

この形は、"One Child"(邦訳:シーラという子)に出てきた。

オーディオブックで聞いたので印象に残っている。

"Ed knew that, for all my bravado, I was a pushover."

(試訳:エドは知っていた。私は威勢がいいだけで、実際のところは押しに弱いのだ。)

もちろん、ここで接したのが初めてではないと思う。

これがぼくにとって新しい構文だったという印象はない。

 

まあ、初めてこの構文に出会ったとしても、大事なのは「つじつま合わせをしないこと」だ。

どうも英語(外国語)を母語と違う何かのように考えて、パズルのように単語の意味を組み合わせて、その中からもっともらしい感じの訳が作れたらそれでOKというように翻訳をする人がいるが、それでは統計的機械翻訳と同じだ。

(実際、統計的機械翻訳では "For all ... " のやつは似たような訳を出す)

 

母語の場合、人間はほとんどすべての場合、正しい解釈がわかる。

一部、母語話者でも解釈が分かれるようなものがあって、ぼくはそういうものが好きだが、それは割合としてはわずかなものだ。

日本語を学んでいる学習者に、難しいと感じた文の解釈について尋ねられるような場合、ほぼ必ず唯一の正しい解釈があり、それをネイティブの直感で答えることができる。

だから、するべきことはまず第一に「感覚を養う」ことだ。

 

しかし、この感覚というのが、母語ではみんな身についているのに、外国語で身につけようとするとかなり個人差があるようだ。

ぼくは外国語の感覚で苦労したことはない。

昔、大学の第二外国語でドイツ語を取っていた友達に、文章の解釈を教えていたぐらいだ。

といっても、ドイツ語にそこまで時間をかけていたというより、最初から身についている感覚で教えていたようなものだ。

 

この感覚がない人間に、外国語の感覚を伝えるのは難しい。

そういえば、最近 PyCon JP というやつがあって、その初日のキーノート講演で「みんなPython3をやってどんなものか知って(できればPython3を捨てる方向でまとまって)ほしい」という内容をやるという、とてもいい話があった。

そのスピーチを聞いてショックを受けた人が正直なところをブログ記事に書いて、それが多少反響を呼んでいた。

その後、何を見てもポジティブに変換するポジティブ脳野郎が「彼の言ってるのはそんなことじゃない」的なことを書いたりしていたが、まあ英語もろくにわからないくせによく言うわという感じだった。

 

まあ、ぼくはポジティブ脳が嫌いだけど、ああいう人間は「現実をねじ曲げる」から嫌いなのだ。

自分の脳内をお花畑で満たすのは自由にしてくれたらいいけど、他人にまで押しつけないでほしいところだ。

彼の実際の講演がどういう感じかは、論より証拠、見て聞いてみたらいい…

CH01 Opening~Keynote: Kenneth Reitz - YouTube

…ってところで、通じない人間には通じないんだからしょうがない。

言語の壁。

Python 2 と Python 3 の壁も大きいけど、日本語と英語の壁も大きい。

 

だいぶどうでもいいことを書いた。

寝よう。