(1:55) 今日も風邪で不毛な時間を過ごした。
(風邪だからといって不毛な時間を過ごさなければいけないということはない)
(読みかけの技術書を読むとか、ほかにもいろいろ考えられる)
(しかし、ぼくは基底状態では何もしないタイプの人間なので、何かをするにはまずすべてのリソースを駆使して精神状態をコントロールしてかすかに底辺から浮上させた状態にしてからその何かをするしかない)
(風邪を引いているとその「すべてのリソースを駆使」ということができない)
(しかたがない)
何もしていないとは言っても、語学の勉強はした。
韓国語のラジオ聴取、アラビア語(シリア口語)の Pimsleur、スペイン語のオンラインレッスン、スペイン語の単語の勉強。
こうしてみるとそれなりにやっている感じだ。
(しかし、韓国語以外はまともに使えるものではない)
(スペイン語は中級レベルだが、中級から上級の壁をいつまでたっても破れない)
(これまでこの壁を破れた言語は、ネイティブとの濃厚な接触ができた中韓しかない)
(英語もそういう経験がないので苦手)
最近、ネットでマッチョな人間がまた出てきたので、また何か書きたいところ。
でも、ブログに書くほどじゃないな…。
(ブログのほうには、いつか子殺しコンテンツについて書きたいと思っている)
マッチョな人間は、ものすごい正しさのオーラをまとっているので、弱い人間は簡単にそれによって殺される。
「ぼくは自分にできる努力をしただけで今の自分になったんだけど、どうしてみんな努力しないの? 不思議だなぁ」みたいなやつだ。
人間には生まれつきの知能や性格の違いもあるし環境の違いもあるのに、そのあたりが完全に抜け落ちている。
ぼくは知能的にはそれなりに恵まれているものの(こういうことを言うのは政治的には正しくないけど)(恵まれているというのは全人類の中でという意味で、機械学習の諸アルゴリズムをちゃんと理解するには絶望的に足りない)、あまり人間社会に適応できる性格ではなかったし、環境には非常に恵まれなかった。
その結果として、ぼくは「壊れた」ほうの人間という認識を持って生きている。
(「壊れた」というのは、かなり無理をしてコントロールをしないとやっていけないという意味)
(ずっと一流の環境にいたようなマッチョは、一度子供の体に魂を移して虐待家庭に送り込んで10年ぐらい過ごさせてやりたい)
(まあ、意味のない空想だけど)
マッチョ側はマッチョな発言をすることで壊れた側の人間を自殺に追い込むことができるが、壊れた側の人間は何を言ってもマッチョに言葉を届けることすらできない。
(マッチョにとって、壊れた人間というのは「努力をするというすばらしいアイデアに気がついたすばらしい自分と違ってそんなことにすら気づけない愚かな存在」だから、当然気にかけるわけがない)
彼我の力の差にため息が出る。
まあ、それでもぼくはマッチョ側にはどう転んでもなれない以上、壊れた側のレジスタンスとして勝ち目のない戦いを続けるしかないというところだ。
でも、子供はどうなるんだろうなぁ。
子供を精神的に満足に育てることができて、しかも知能にも恵まれていたとしたら、親が何といってもマッチョになってしまうんじゃないだろうか。
まあ、今のところ幸か不幸かそんな感じには見えないけど。