(0:58) 9連休明けの出勤。
午前中 1時間半ほどかけてやった実験の結果が非常に悪いのでよく見てみると、古いデータを消さないと実験がうまく行かないようだった。
そんなこと書いてなかったけど。
うーむ。
消して、もう一度 1時間半かけて実験したら、元のやつより少しだけいい結果になった。
よかった。
直したいところ、直してもあまりスコアが上がらなさそうなので悩みどころ。
機械翻訳は、データが新聞などに偏りがちなので、そういうメディアにあまり出てこないものがうまくいっていなくてもスコアに反映されにくい。
たとえば、"안 갔어요."(行きませんでした)みたいなものは、新聞ではあまり出てこないので、これの翻訳結果を直してもスコアの変化は微々たるものだ。
ちなみに、これは Google 翻訳でもうまくいっていなくて、「内部に行きました。」というとんでもない訳になる。
さらに、スコアが単純な文字列比較によるものだという点もよくない。
肯定・否定が逆転するというのは人間の感覚では致命的なのに、その感覚が反映されない。
自動的につけるスコアはひとつの目安にはなるけれど、こういう場合にはあまり助けにならない。
韓国語というのは多くの日本人にとっては暗号みたいなものだから、翻訳のヤバさの体感を伝えるのが難しい。
これが英語なら、"I didn't go." が「私は行きました。」になったらヤバいということが感覚的に伝わって、スコアにかかわらずそれを直すために何かをすることが正当化できる。
しかし、韓国語ではその感覚が伝えにくいので、自分のやることが正当化できるかどうかわからない。
まあ、仕事のことは置いといて。
今日はツイッター界隈で非常にコンテンツ力の高い事件があった。
男女間のもめ事がリアルタイムで中継されるというもの。
しかし、今の推移を見ると、どうもその一人はコンテンツ扱いされることによって精神的ダメージを受けているようだ。
人間は難しい。
ぼくは「コンテンツ扱いされる不愉快さ」というものが理解できない。
ぼくは常に自分をコンテンツ化することを考えて生きている気がする。
承認欲求とは恐ろしいもので、しにたみあふれるときでもつい何かつぶやいてふぁぼをもらいたくなる。将来一家心中するときにもそれをコンテンツ化したくなりそう(通報されて未遂に終わる危険性が)。
— Hiroshi Manabe (@takeda25) 2013, 10月 17
ちゃんとリアルに根を下ろして生きている人間もいるんだなぁ、というのが今回の気づきだった。