07/19

(1:12) 昨日夜更かししたせいで睡眠不足だ…。

 

今日は午前中病院に行って健康診断の結果をもらってきて、午後はプールに行った後 6時に S と会った。

(突然、英数字の半角開けをするべきかどうか気になった)

(今はしているけれど、数字-助数詞間はあまりしていない)

(そこでもしていることもあるかもしれないし、そこ以外でしていないこともあるかもしれない)

(こういう原始的なことを人手でやるのはどうなのかと)

(唐突だ)

 

S はだいぶ痩せて見えた。

ぼくは普段人の外見にあまり注意を払わないほうだけど、今回は気になったので、痩せた? と聞いてみた。

最近になってだいぶ痩せたそうだ。

間違っていなくてよかった。

具体的な体重を聞いてみるとけっこう痩せている感じの数字だったけど、一応健康体重の範囲内だそうだ。

(女性に体重を聞くのが一般的にはよくないというのは知っているけど、S が相手なので気にしなかった)

(向こうも一般的にはよくないという社会常識が頭をよぎりながら気にしていないのかもしれない)

 

何も考えずに行ったので、適当にミロードに入って 9階のベトナム料理の店に行った。

ぼくはカレーとフォーとマンゴーラッシーのセットを食べた。

 

いつものように、いろいろな話をした。

今の生活の話とか、職場の話とか、育った家庭の話とかも少し。

 

ぼくが今度奈良のほうに行くにあたっていろいろと妻に犠牲を強いているので、もしも人間関係が合わなかったら自殺するしか道がないんだよねー、みたいな話をすると、「人間はいざとなったら死ねるのがいいよね」と。

そう、ほんとそう。

人生は生きるに値しないものになりうるということ。

いざとなったら死という道があることのありがたさ。

そのあたりをわかっている。

 

ぼくは自殺肯定主義者だ。

自殺を否定するというのは、原因をほったらかしにして結果をコントロールしようとする狂った所行だと思っている。

ぼく自身、これまで死にたいと思ったタイミングは何回もあるし、それらの機会に死ねなかったことを特にありがたいとも思っていない。

 

ツイッターなんかでそういう話になると、自殺否定主義者との対抗上、自殺肯定主義者という立場になる。

でも、ぼくはただ、死にたければ死ねるという最低限の権利ぐらいは主張したいよね、というそれだけなのだ。

 

S もそんな感じなんだけど、それでも育児休暇の話とかをしていて、一応妊娠出産を視野に入れてはいるようだった。

生きている間は流れに任せて生きる。

もし死にたくなったら、そのときは死ぬ。

単純でいいと思う。

 

1時間ちょっと話したところで、店の人に追い出された。

夕食時だからしょうがないか。

だいぶ人が並んでいた。

 

ちょっとつたない感じになってしまったが、一応おごった。

こっちから誘ったからということで。

お互い、おごるおごらないとかあんまり気にしないというのはわかっているはずなのに、それでもプロトコルのようなものを意識してしまった。

 

その後、E さんに勧められたラノベを買ってみた。

ちょっと読んでみたけど、まあ悪くないかもしれない。

すごく技巧的な感じはするけれど、ラノベとはそういうものなんだろうか?

(いや、ハルヒはそうでもなかったな)