(0:11) 妻の母に連れられて、子供が香港から帰ってきた。
(そういえば、「妻の母」という呼称について人にツッコまれることがある)
(日本語が通じるのであれば、普段から日本語で「おかあさん」と呼んでいるところだろうし、書くときにもそれを使うかもしれないが、中国語(普通話・広東話)しかしゃべれないので「妈」(おかあさん)と呼んでいる)
(しかし、それも何となく言いにくいので可能な限り言わないですませている)
昼は新宿の紀伊國屋に行った。
最短経路の本と漫画二冊を購入。
夜は、子供が帰ってきたお祝いも兼ねて贅沢してスーパーで弁当を買って食べた。
といっても、それを贅沢だと思っていたのはぼく一人かもしれない。
妻は食べ物に関してそこまでケチではない。
ぼくはあまり食に楽しみを感じられないタイプなので、たとえば冷凍食品の140円ぐらいのスパゲティを食べる代わりに400円ぐらいの弁当を食べてしまうと、260円を浪費した気分になる。
本を買うときはだいぶ金銭感覚が違う。
一週間5000円という枠の範囲内で好きに買う。
本は食べ物と違って、読んだら読んだだけ血肉になる…と思っているので。
(「血肉になる」という表現の字面から考えたら食べ物のほうが直接的に血肉になっているのでは?)
(ところで、「けつにく」というのを昔は「ちにく」と読んでいて、後から矯正したもののうっかりすると今でもそれが出てくる、というか出てきた)
(「にく」が漢語っぽくないのが良くないんだろう)
うちの子供は人と目を合わせて笑うということがほとんどない。
物にばかり興味を示している。
ぼくほどかどうかはわからないけれど、自閉の傾向はあるような気がする。
苦労の多い人生を歩みそうだ。
これから夏になることもあり、自室で一人で寝ることにする。
子供の世話を妻や妻の母に任せる部分が大きいのは心苦しいが、まず精神的な生き残りを図らないと元も子もない。
あと20回ぐらい転生してカルマが解消されて立派な人間になれたら頑張ろう。
この人生、捨てゲーっぽい。
いろいろダメすぎて手の施しようがない。
それでもカルマを解消するために少しでもマシな生き方をしようと思っている。
といっても、カルマや転生を真剣に信じているわけではない。
しかし、人間にとって来世があるかどうかと同じぐらい、明日があるかどうかも不確定だ。
今日寝て、明日目が覚めるという保証はない。
突発した核戦争で死んでいるかもしれない。
そう考えると、明日という存在は仮想的なものだ。
それなら、来世という存在を仮定してもいいんじゃないか、ぐらいの考え。
今世だけで考えると人生のダメさ加減が挽回できないことによる深い哀しみに包まれてしまうので、その対策としてのライフハック。
というか、そもそも来世とか輪廻とかいう概念自体、もともとライフハック的なものなんじゃないだろうか?
微妙に風邪気味だ。
喉が痛い。
それでも、一人で寝ることによって、少しは頭がクリアになった気がする。
ぼくには、絶望的に、一人の時間が必要なのだ…。