(23:50) 今日もしんどい。
何かしんどみエピソードがあってしんどくなるわけではなく、職場の雰囲気が全体的にしんどい。
昔のK社はだいぶゆるくてよかったんだけど、あれはあのときのあのメンバーだったからこそで、再現不可能なものだ。
残念だ。
あのころ、ぼくはずっと同僚のAさんに片思いをしていた。
最初に知り合ったときからAさんには彼氏がいて、その後その彼氏と結婚したけど、その後もずっと好きだった。
Aさんは(ぼくが言うのも何だけど)ちょっと変わっている人だった。
廃墟好きだったり、いきなりヒンディー語を勉強してみたり。
プログラマなのにプログラミングは苦手で、Visual C++ で数年間プログラミングをしてきた後に「あたし、最近やっとポインタがわかってきたような気がする」とか言っていた。
職場の雰囲気もゆるかったので、仕事中にちょっとした雑談をしたりもした。
幸せだったなぁ。
(当時と今を比べると、「モモ」の灰色の男が支配する前と後みたいな違いがある)
本当に、今の職場は灰色の男に支配されたような場所だ。
まったく余裕がない。
そういえば、大学院時代の同期の K君は、たまに仕事時間中に質問の電話をしてくることがあった。
ぼくからすると、仕事中に私用電話なんて(今の職場ではもちろん、一般的にも)論外だと思うんだけど、どうもそういうことが許される場所らしい。
そのゆるさのおかげか、夜遅くまで働いてもあまり苦になっていないようだった。
まあ、ダラダラ長時間やるより緊張した雰囲気で短時間やるほうがいいというのはわかる。
でも、そういうのを続けていると、精神が疲弊してしまう。
このまま今の場所に居続けるなら、生きている意味がないと真剣に思う。
転職、あるいは死を。
どちらかを必ず得なければいけない。
この前ブログに書いたような技術的なことも、余裕のなさから生まれるんだと思っている。
余裕がないと、よりよい方法はどういうものかをじっくり考えることができない。
その結果、これまでのやり方を踏襲するだけになり、技術的に確実に朽ちていく。
今の会社の社長のような、エネルギーにあふれる人は違うのかもしれない。
数年前の遺跡からは、「プロセスの改善」に真剣に取り組んでいたような痕跡がうかがえる。
しかし、その時代は雰囲気も現代よりずっとゆるかったという伝説もある。
ハードワーキングと余裕のない雰囲気は違う。
話に聞く限りでは、その当時はいい意味でのいい加減さと熱心さがあったように思える。
まあ、先史時代のことはわからないけど。
よくあることなんだろう。
お金を稼ぐ仕組みを構築した会社では、精神的に「守る」ことが至上になる。
社長個人がいくら進取の精神に富んでいても、その下は、だんだんと、確実に、固まっていく。
企業という生命体の、盛衰のプロセスにすぎないんだろう。
まあ、それが悪いということはないのかもしれない。
サービスを提供する仕組みがあり、それによって人々の役に立ち、そこから入る収益で会社が存続し、従業員の生活を成り立たせる。
何も悪くない。
しかし、ぼくは「守る」ことを至上とする場所にはいられない。
たとえば、銀行というのは確実に人の役に立っていて、そのシステムを維持することも大切なことなんだろうとは思うけれど、ぼくには無理だ。
世の中には、そういう「守る」ことにはるかに向いた人がいる(このことは、ぼくが今の場所に来て痛感したことだ)。
まあ、そういうわけで、ぼくは何があっても辞めないといけない。
期限は夏のボーナス。
次が決まっていなくても、とりあえず無職になる。
再就職は、もっと難しくなるだろうな。
前職も 1 年ちょっとで辞めたし、すぐに辞める人間だと思われる(それは間違っていない)。
ろくな仕事が見つからないんじゃないだろうか。
今後の人生、落ちぶれる一方かもしれないな。
それを考えると、転職じゃないほうの選択肢を選びたくてしょうがないけれど、まあそれも難しいので、何とか転職のほうで頑張ろう。