01/03

(23:51) 初詣に行ってきた。

家族が健康であることと、いい転職先が見つかることを祈ってきた。

(信仰心があるわけではないので形式的に)

 

写真も撮ったので、せっかくだから上げてみようかな…と思いつつ、妻の写真を載せるのはどうなのかなと思ったので妻のFacebookページを見に行ってみた。

自分で公開してるなら問題ないかなと思って。

(ちなみに、妻とはSNS上でつながっていない)

 

見てみると、夫婦と子供の写真が背景になっていた。

じゃあ問題ないということか。

貼ってみよう。

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なんとなく、写真を貼るとネット上の存在でなくなるような気分だ(もともと違う)。

場所の特定も可能だと思うけど(情報をいじったりしていない)、まあいいや。

 

今日は不毛な時間を過ごした。

三が日は建設的なことをしてはいけないということを自分に課しているためだが、それにしてもいつもと同じダラダラしかたというのはもったいない。

昔、正月の間はテレビを見て過ごすということをしていて、「アバウト・シュミット」という面白い映画に出会ったことがあったのだが、今年はそういうこともない。

と思ったら、妻の母が居間で寝ているからそういうことはできないんだった。

 

妻の母は、もう5か月ぐらい家にいてくれていることになるはず(ネイティブじゃないと使いこなすのが難しそうな複雑な語尾だ)。

妻の母は香港籍で、3か月の観光ビザで来ているのだが、切れるタイミングで一度韓国に行って帰ってきて、もう3か月ビザを延長するということをした。

裏技っぽいけど、特に問題ないらしい。

妻の母はもう一か月ぐらいで香港に帰らないといけないはずだけど、その後の生活が心配だ。

 

今年は生き残りに全力を尽くす年にする予定。

生存に関係ない外国語の勉強は、スペイン語の暗記と별밤聴取ぐらいにする。

通勤電車での時間は、生き残りのために技術書などを読もう。

 

生き残りのために全力を尽くさないといけないというのは、どうもおかしい気がする。

正直言って、ぼくは相当頭がいいほうだ(ネット界のトップと比べなければ、と予防線を張っておく)。

それなのに、生き残るためにこれだけしんどい思いをしなければいけない。

 

それに、ぼくは職場環境が(労働条件という点では)恵まれていて、18時ちょうどに仕事を終えることができるけれど、一般には夜9時や10時、日付が変わるまでというのも珍しくないようだ。

そんな環境だったら、勉強もろくにできないだろう。

そういう人はどうしているんだ?

 

まともな才覚のある人間は、転職を繰り返したり40近くになるまでプログラマをしていたりしないで、ひとつの会社に落ち着いて中間管理職にでもなったりしているんだろうか。

そういう生き方が自分の性に合わないのは確かだ。

自由の代償ということか…。

 

そういえば、姉の夫は優良大企業に20年ほど勤めている(どれだけの給料をもらっているのか想像もつかない)のだが、いろいろとめんどくさい事情で遠くに転勤することになったという。

ついて行くことも考えたらしいけれど、いろいろ考え合わせた結果、やっぱり単身赴任ということになったらしい。

漫画の中にでもありそうな、典型的なサラリーマン人生っぽい。

 

まあ、姉の夫はアウトドア派だし、山に登りにいったりしているし、基本的にぼくよりずっと幸せっぽいので、そのくらいどうということはないんだろう。

人間の幸不幸というのは、生まれと育ちでだいたいベースラインが決まっていて、よほどのことがなければそのベースラインからあんまり離れないような気がする。

ぼくの場合はベースラインが相当不幸なので、たとえ1000兆円あっても姉の夫より幸せにはなれそうにない。

しかし、無職の時期はぼく基準では今より相当幸せだったので、無職でダラダラできるぐらいのお金はほしいところ(無理)。

 

無職でダラダラできるぐらいのお金は無理でも、少しでもお金を稼げるようになりたいところ。