(1:09) 今日も特に何もない休日。
(昨日は何か(療育)がある休日だったのでは?)
(この「も」はこれまで限りなく繰り返されてきた何もない休日を受けているということで)
昼はずっとダラダラして、午後プールに行って、サブウェイでわずかに読書して、夜は家族でスシローで豪遊した。
(このパターンも数限りなく繰り返されてきた)
(情報量2ビットぐらいしかないのでは)
ツイッターで S さんがよく出す「40点」という数字について考える。
何かの基準で、人が0〜100点まで均一に分布しているとすると(0〜100ではパターンが101通りになって気持ち悪い)(しかし世間のテストなどはそうなっている)(どうでもいい)、10人中4人が40点以下になってしまうということだ。
(均一に分布している場合)
(正規分布とかだとまた変わってくる)
(まあ均一ということにしておこう)
ある基準で40点でダメージを受けるとなると、10人中4人はそういう思い(またはそれより嫌な思い)をするということになる。
なんだかなぁ。
何というか、10人中4人が苦しむというのは、よくない状況のような気がする。
(適当な感覚)
まあ、はっきり言うと顔のことなんだけど。
男と女ではだいぶ違いそうだ。
ぼくは確実に40点を下回る不細工だけど、それについてあまり考えることはない。
男の場合、異性にそこまで顔を重視されないというのがある。
(ほかの重視されるポイントでいい点が取れているというわけではない)
(つらい)
(まあしょうがない)
あと、女の場合、女内序列? 的なものにも顔が効いてくるようだ。
これは男の場合は考えにくい。
あまり考えがまとまらない。
まあ、ぼく個人で言うと、頭のよさという自信ポイントがあるからほかの面でそんなに劣等感を感じないで済んでるのかもしれないなぁ。
(正直に書く)
ぼくは常に、頭のよさで少なくとも100人に1人レベル以上ではあると体感してきた(もっとも、100人に1人というのはそれ自身大したレベルではない)(それ以上のどこかではあるけれど、1000人に1人かというと自信が持てないというところ)(適当)から、今のような人格になっている(人格に対する寄与分では ASD 的な部分のほうがずっと大きい、というか、性格は遺伝によって決まるところが大きい)(まあ、環境部分についてということで)けど、もしそれがなかったら、何をよりどころにしていたんだろうかと思う。
まあ、ぼくが ASD 的なままで頭がよくなければもっと障害者的な生き方をしていただろうし、かといって ASD 的でなければそれは完全に自分ではないし… というわけで、あまりほかのルートが想像しにくいところがある。
いずれにしても、みんなが劣等感を持たずにいられたら、それが一番なんだけど。
人類の脳から劣等感を持つ部分を焼き切るか(遺伝子的にとか)、VR かなんかで各人が無限の承認を得られるようにするか、どっちがいいんだろうな。
(その二つしかないのか?)