02/27

(1:17) 今週末から来週にかけて、ちょっとした頼まれ事で作業をすることになった。

(詳細は書かない)

それでだいぶ時間がなくなることになりそうだ。

本屋にも行けなくなる感じ。

まあ、しょうがない。

今日もその作業を少しやった。

 

ほかは特筆すべきことはない。

自閉症については、自分の中で熟成させている感じ。

 

(一般的な基準からすると考えすぎるほど考えているのに)(そして、いろいろな証拠から確実なのに)未だに、自分が自閉症だという実感があまりない。

というか、そもそも「実感」という概念が自閉症者には欠けているんじゃないか、とも思う。

 

うまくやっている(っぽい)ほかの自閉症者(っぽい人)を見ても、社会生活ために「何らかの仕組み」を作り上げている人が多いように思える。

(だいぶ曖昧だ)

ぼくの場合、自分のその仕組みは「人間エミュレータ」と呼んでいる。

 

活動している時間のほとんどすべて、この人間エミュレータは動いている。

ほぼ動かさないでいいのは喫茶店で本を読んでいるときぐらいだ。

(だから、ぼくが本当に「生きている」のは、一週間の中でその1〜2時間ぐらいしかないという実感がある)

(もちろん今もほとんど死んでいる)

(E が隣の部屋にいるので)

この人間エミュレータをどう構築するかというのは、自閉症者にとっては大きなポイントなんじゃないだろうか。

 

さて、前にも書いたが、ネット上の自閉症の仲間(自覚している人もそうでない人もいる)を見ると、そのパフォーマンスはさまざまだ。

A さんのようにかなりうまくやっている人もいれば、E さんのようにかなり困難のある人もいる。

ぼくはその中間ぐらいだ。

これはやはり、元々の重症度によるものなんだろうか?

(最近フォロー関係になった N さんについてはよくわからない)

 

上記 3 人と自分については、自閉的傾向の強さがかなり明らかだ。

(もっとも、自閉症という自覚に基づいてアクティブに調べたり考えたりしているのはぼくだけだ)

(E さんは自覚はあるが本を読んだりはしていないよう)

 

そういえば、n さんも発達障害の本をかなり読んでいる。

かなり傾向としては強いと思うけれど、典型例からは少し外れるような気がしている。

 

A さん・N さんがあまりその方向で考えていないのは、曲がりなりに人生がうまくいっている・ほかの現実的な問題で忙しいというのの両方だろうか。

(うまくいっている=幸せ、ではない)

(不幸そうでない自閉症者というのはぼくは見たことがない)

 

ここで浮上してきたのが、K さん。

K さんの日記で、ぼくのことに少し触れていた。

昔はそういう考え方をしていたと書いていた。

 

しかし、ここで不思議なのは、自閉症というのは「考え方」ではなく「認知の仕方」だということだ。

例えば、うちの子供を見ていると、完全に教科書通りに「共同注意」というものがない。

つまり、物を大人に見せたり、大人の見ている方向を一緒に見たりするということがない。

これが将来的に「心の理論」の欠落につながるということになる。

ぼくも、昔から一貫して自閉症的であったし、そういう意味で「人間」(定型発達者)であったことはない。

 

それに、自閉症というのは(ぼくから子供に遺伝しているように)ほとんど遺伝で決まるものだ。

一卵性双生児の片方が自閉症なら、もう片方も高い確率で自閉症だ。

また、自閉症に生まれてから人間に育つということも、人間に生まれてから自閉症者になるということも基本的にはないはずだ。

 

そうすると、K さんは自閉症者なのか人間なのか。

 

人間であれば、特に心配することはない。

しかし、自閉症者であったとすると、それはかなり不自然な状態だ。

エミュレータをそこまで発達させることは可能なのか?

 

考えてみると、少なくともぼくほど自閉的ではないことは確かだな。

自閉症者に典型的なことだが、ぼくは未来に対してあまり考えることができない。

(この点では特に E さんに近い)

(だから、生き方が行き当たりばったりになりやすい)

(そういえば、S さんも近いな)

(上では S さんについては挙げなかったけれど、彼はほかにもかなり精神的な問題が多そうなので、自閉的だということが第一の問題かはわからない)

その問題は K さんにはなさそうだ。

(いや、それを言うと A さんも大丈夫そうな気もする)

自閉症者も人間も一様ではない)

(特に境界例を考える場合、二分法的な考え方はよくないのかもしれない)

 

まあ、K さんについては「どちらともいえない」としか言えないな。

彼みたいな人間も、彼みたいな自閉症者もほかにはいない。

 

彼については、普通に見ると「すごい人」「尊敬すべき人」「幸せな人」というイメージだろう。

(K さんののろけは定番ネタだ)

 

しかし、ぼくは K さんが幸せかどうかについてはあまり確信していない。

かなり人格を作っている印象があり、緊張感の高さを感じるからだ。

(もちろん、これは完全に的外れである可能性もある)

 

だいぶ長くなった。

ぼくは他人についてかなり考察をするところがある。

(前に書いた M さんの場合もそうだった)

(ぼくは普通に思ったことを書いたつもりだったが、「よくそこまで」みたいな反応もあった)

 

というのも、ぼくは人間が持っているという(そのことは最近知ったのだが)「心の理論」のネイティブモジュールを持っていない。

だから、他人について考えるときはすべてを通常の思考回路に頼ることになり、どうしても理屈っぽくなるということだろう。

 

そういえば、人格を作っている・緊張感が高いという意味では(そのぼくの観察結果が正しければ)M さんも K さんと共通しているな。

M さんは女性だから人間である事前確率が高いけれど(自閉症の8割は男)、そうするとやはり「人格構築・高緊張タイプ」は人間の一類型ということになるのかな。

 

このタイプは、人格を作っている(ネイティブで生きていない)という意味で共通点を感じるので、ぼくは親しみを持っている。

このタイプについても、もうちょっといろいろ知りたい・考えていきたいところだ。