02/11

(0:45) 今日の午後は温泉に行った。

車で40分ぐらいかかるところ。

行きは E の運転、帰りはぼくの運転。

 

温泉にはサウナと水風呂もあった。

満喫してきた。

(しかし、ぼくは別に温泉であろうと銭湯であろうとどうでもいい)

(わざわざ遠出したくはない)

(韓国のチムジルバンみたいなのが日本にも普及してほしい)

 

5時ごろに帰ってからは家でゆっくりしていた。

6時半にくら寿司に行く予定だった。

 

そこに電話がかかってきた。

祖母のホームから。

転んで怪我をしたので病院に連れて行くことになったから来てくれと。

 

しょうがなく行くことに。

(しょうがなくというのは、祖母はぼくのことを認識できないほどボケているのでぼくが行く実質的な意味はないので)

車で1時間ぐらい。

 

着くと、祖母は別に痛そうにもしていなかった。

看護師さんの話を聞くと、骨が折れているとのこと。

入院することになった。

 

祖母は夕食を食べていないとのことなので、コンビニでヨーグルトなどを買ってきた。

しかし、いらないと言う。

特にすることもないのでそのまま帰ることに。

明日以降、ちゃんと診察した結果を伝えてくれるらしい。

 

晩ご飯をマクドナルドで食べて、また1時間ほど運転して帰った。

 

帰ってから姉に電話。

ついでに Skype でビデオ通話をした。

お互いの子供の様子を見た。

 

これまでであれば日記はここまでのところだが、今日はまた最近の人間についての発見を絡めていろいろ考えた。

 

まず、病院に行ってから E にメールを送るとき。

最初は「マクドナルドで晩ご飯食べて帰るよ」と書こうとして、そういえば人間は人間のことが気になるものだから祖母の状況も書いたほうがいいかと思ってその方向で書き直した。

こういうことは、ぼくのこれまでの生活でもしょっちゅうあったことだが、改めてこのプロセスに気がついて、これをネイティブでできる人もいるのかもしれないという可能性に思いを馳せた。

 

それから、帰ってから姉と電話で話したとき。

 

なるほど、これは確かに姉は人間的(ぼくは自閉症的)だ。

子供の顔を見たいというのは、かなり原初的な感覚なのだろう。

 

ぼくももちろん、話を合わせてビデオ通話して、姪たちと挨拶したり話したりしたけれど、それは当然「作った」態度だ。

これは誠実さという意味ではどうなんだろう? と思ったりする。

しかし、人間の中で生きていくにはそうやって生きていくしかない。