01/10

(1:42) 今日は特に何もなかった。

(いつもだけど)

 

子供の熱が下がったので、小児科はやはり行かないことに。

 

午前中、家族で近くの巨大建造物へ買い物に行く。

帰って昼寝をして、夕方プールへ。

水中メガネを忘れてきた。

(届いているといいけど)

 

"The Blank Slate"(人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か)を読み終えた。

(英語のタイトルで言及されていたので邦訳がないのかと思って英語版を読むことになった)

(何かの縁だと思って頑張って読むことにした)

(しかし他人には勧めないので日本語版のリンクを毎回張る)

(でも、読んでもいない日本語版を勧めると、翻訳が読むに堪えないものだったりした場合に無責任じゃないだろうか)

(ないと思うけど)

 

だいぶ時間がかかってしまった。

英語の本を読むのには、日本語の5〜10倍ぐらいの時間がかかる。

日本語では上中下の三冊なので、日本語で15〜30冊ぐらいの本が読めるだけ時間を使ってしまったことになる。

(しかし、今後日本語圏の人口が減るにつれて英語で読まないといけなくなることも増えそうだ)

 

昨日も少し書いたけれど、この本は「生まれか育ちか」論争に完璧にとどめを刺すものだ。

人間の知能や性格は半分は遺伝で、残り半分は個別の環境(友達関係、偶然の出来事、胎内での神経回路の形成過程でのゆらぎなど?)、生育家庭の影響は(普通は)ほとんど無視できる程度とのこと。

(もちろん、虐待があるような家庭ではその限りではない)

(ぼくは家庭の影響をそれなりに受けたほうだろう)

(まあ、40歳になった今ではその影響はだいぶ薄れているだろうし、幸福な家庭で育っていたとしても今のような人格になっていたのかもしれない)

(知能も、子供のころは家庭の影響があるが、成人後はその影響は消えていくらしい)

 

特に印象深かったのは次の部分。

ある母親が、新聞に次のように投書したという。

The thought that all this love that I’m pouring into him counts for nothing is too terrible to contemplate.

(私が子供に注いでいる愛情が結局何にもならないなんて、考えただけでもぞっとします。) 

 

それに続く文脈で、ピンカーは次のように書いている。

Realistic parents would be less anxious parents. They could enjoy their time with their children rather than constantly trying to stimulate them, socialize them, and improve their characters. They could read stories to their children for the pleasure of it, not because it’s good for their neurons.

(現実的な親は神経質にならずにすむ。 絶えず子供を刺激したり、人と交流させたり、性格を改善したりしようとするのではなく、子供と一緒にいる時間を楽しむことができる。子供のニューロンにいいからという理由ではなく、純粋に楽しみのために本を読み聞かせることもできる。)

 

そして、「(家庭環境が子供の性格に影響しないなら)子供をどう扱ってもいいのか」という疑問に対して、ジュディス・リッチ・ハリスという心理学者の回答を引用しながら書いている。

First, parents wield enormous power over their children, and their actions can make a big difference to their happiness. Childrearing is above all an ethical responsibility. It is not OK for parents to beat, humiliate, deprive, or neglect their children, because those are awful things for a big strong person to do to a small helpless one. As Harris writes, “We may not hold their tomorrows in our hands but we surely hold their todays, and we have the power to make their todays very miserable."

(まず、親は 子供に対して大きな力を持っているので、親の行動によって子供の幸福度は大きく異なるものになりうる。子育ては何よりも倫理的な責任だ。親は、子供を叩いたり、侮辱したり、必要なものを与えなかったり、ネグレクトしたりしてはいけない。これらのことを大きく強い人間が小さく無力な人間に対してするのはひどいことだからだ。ハリスが書いているように、「親は子供の明日を左右できるわけではないかもしれないが、確実に子供の今日を左右している。親は、子供の今日をひどい状態にする力を持っている。」)

 

Second, a parent and a child have a human relationship. No one ever asks, “So you’re saying it doesn’t matter how I treat my husband or wife?” even though no one but a newlywed believes that one can change the personality of one’s spouse.

(次に、親と子供は人間同士の関係だからだ。配偶者の人格が変えられるなんて信じているのは新婚の夫婦ぐらいのものだが、それでも「じゃあ、夫・妻をどう扱っても関係ないということですか?」なんて聞く人はいない。)

 

「子供に対してよくしなければならないのは、それが人間関係だから」ということだ。

これはいい考え方だ。

相手の人格を変えられないということは、相手をどう扱ってもいいということにはならない。

親は子供の人格も知能も変えられないけれど、子供が幸せかどうかは変えることができる。

 

まあ、うちの場合はひとつ大きなポイントがある。

子供に中国語を教えられるかどうかというところだ。

 

子供は周囲の環境から受ける影響が(親から受ける影響よりもずっと)強いので、このまま日本で育てば、日本語は自然に身につけられるはず。

でも、中国語は意識的に教えないと身につかないだろう。

 

例えば、元同僚の K さんは夫婦揃って朝鮮族の中国人なのだが、結局子供は日本語しかしゃべらないように育った。

それだけ環境の影響は強いということだ。

 

うちもそうなるかもしれないな。

まあ、そうなったらそうなったでしかたないか。