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(23:48) 今日は悲惨な目に遭った…。。。

 

朝、妻の運転する車でリムジンバスの乗り場へ。

関空の第二ターミナルへ。

 

特に何事もなく搭乗手続きをしようとしたところで、大変なことに気がついた。

予約していたWi-fiルータは第一ターミナルでの受け取りだった…。

 

あわてて電話すると、どうしようもないということ。

キャンセルして、4000円が泡と消えた。

 

4000円。

人類を500回ぐらい滅亡させられるぐらいの金額だ…。

それは大げさにしても、人命一人分より確実に重い…。

(心の中では人命一人分=3000円換算)

 

その場で死ねたらと願わずにはいられなかった。

人間の心は、4000円の損失を乗り越えられるほど強くはない…。

このぐらいの損失を被ったら無条件で死ねる機構が人体に備わっていてほしかった…。

昨日はVMWareの更新に7500円も払ったばかりなのに…。

(そういえばPimsleurアラビア語1には13000円ぐらい払ったけど、Pimsleurほどそのお金に見合うものはなかなかないのでそれはいい)

 

まあ、そういえばぼくは車(軽だけど)を買ってからブルジョアの仲間入りをしたんだった…。

4000円程度の損失でダメージを受けているようではブルジョアはやっていられない…。

車関連では、数万円の出費というのが平気で生まれてきたりするのだ…。

 

まあ、それは乗り越えるにしても…(宇宙ヒッチハイクガイドのアーサーが地球滅亡を乗り越えたように)。

 

いかんせん、Wi-Fi ルータがないという事実はどうにもならない。

空港でしばらく息を吹き返した後は、また精神的な死に陥ることに。

(ところで、E は後の第一ターミナルの便で来たので、もうちょっと早めに思い出していれば何とかなったのかもしれない、しかし後の祭りだ)

 

飛行機の中では、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んだ。

面白かった。

 

ぼくはあまりSFを読むほうではないが、この作品はもう少し早めに読んでおいてもよかったかもしれない。

作中には、共感能力を持たないアンドロイドが出てくる。

実際のところ、ぼくは人間よりもこのアンドロイドのほうにずっと近い。

人間を模倣しようとはしているけれど、肝心の共感能力というものはないままだ。

 

アンドロイド側の立場からこの作品を読むと、自分たちは殺されるべき存在なのだろうか? という疑問が浮かぶ。

共感能力を持たない生き物というのは、そんなに恐怖すべきものなのかと。

 

ぼくはそうは思わない。

ぼくの搭載している思考回路は、昨日も書いたようにまあ無害なタイプだ。

特に人間社会から積極的に排除すべき理由もないと思う。

 

しかし、思考回路に何でも載せられる(道徳という縛りがない)ということは、「グループ」全体で見ると、時々非常に危険な個体が出てきてもおかしくないのかもしれない。

かといって、「グループ」全体の危険性から「個体」を無条件に殺していくというのは、人間の道徳から一般的に導けるものではないだろう。

 

だが(逆接ばかりだ)、それはあくまで人間側が現代的な道徳で判断する場合だ。

実際は、人間は「道徳」というものがビルトインされているとはいっても、それはかなりグループ間の闘争があった時代のものを引き継いでいるので、「異質なグループをグループごと排除する」というのは本能的に受け入れられるものだろう。

 

逆に、人間が少数派で、共感能力のない生き物のほうが多数派だったらどうだろう。

人間を、「グループ」という単位で殺そうと思うだろうか。

 

そうはならないと思う。

そもそも、そうする動機がない。

(「グループ」全体を滅亡させようという本能はない)

 

しかし一方で、ぼくのようなタイプは、人間を交渉対象として見る動機が、「それが知的生命体であるから(=知的生命体はいろいろな意味で強いので、軽々しく手を出してはいけない)」というものしかない。

つまり、人間の体を持っていても、中にゴリラの知能が入っていたら、それをゴリラとして扱うことに何のためらいもない。

これは人間と違うところだろう。

(そういえば、寄生獣の有名なシーンで、「死んだ犬はただの肉の塊だ」みたいなものがあるけれど、これもぼくにとっては自明すぎてインパクトがない)

(死んだ後の肉体に対して、死ぬ前の属性を引きずって考えるというのは、いくらなんでも知的生命体らしくないと思うのだが)

(まあ、人間というのはそういうものらしい)

(ぼくは人間の赤ちゃんの皮で作った財布でも使えるタイプだ)

(もちろん、社交的な場面でそういう話題が出たら「嫌悪」の態度を取るとは思うけれど)

 

だから、もし多数派のアスペと少数派の人間という状況になったら、アスペは知的障害のある人間を処分しようとするんじゃないだろうか。

(当然、アスペ内部の知的障害も何の問題もなく処分されているはずだ)

その後、「知的障害のある人間を処分すると、それに『共感能力』を発揮するほかの人間と敵対することになるので、殺してはいけない」というベストプラクティスが確立されるかもしれないが。

 

荒唐無稽な仮定だけど。

こうして考えてみると、自分のような存在は人間にとって潜在的に「脅威」であるとも言えそうな気がしてきた。

 

しかし、ぼくのほうから見ると、人間の「グループ単位で相手を殺戮しようとする心」というのも脅威に思える。

 

まあ、「どちらがより脅威か」なんて考えてもしかたがない。

幸い、実際の世界では、法律を形式的に守っている限りは、共感能力不足でいきなり殺されたりするなんてことはない。

平和な世の中だ。

 

そういえば、ここまで日記を書いてきて、子供のことはまったく出てきていない。

自然状態でいると、脳内に占める「他者」の割合は非常に少ない。

もちろん、実際にはできるだけよくしようとは思っているけれど…。