09/27

(2:22) 今日もまた地球の難波の本屋に行った。

 

難波に行くのはけっこう時間がかかる。

同じ地球でも、京都駅ならもうちょっと楽なんだけど、京都駅周辺はあまりいい本屋がない。

大垣書店というのが70万冊だけど、あまりいい話を聞かないので週末1日をつぶすのをためらっている。

 

難波では世界最高の美食ココイチのカレーを食べて、それから金券ショップに寄った。

ココイチと金券ショップは南海の駅のほうにあるので、だいぶ遠回りになる。

近鉄の難波から直接本屋に行ったらだいぶ近いんだけど。

 

電車では五木寛之の「大河の一滴」を読んだ。

ネガティブ思考のすすめということで読んだが、フワフワしたいい加減な脳でトンデモっぽいことを言っている雰囲気野郎という感じで好きになれなかった。

五木寛之は昔も何か読んだと思うけどそのときも好きになれなかったと思う)

 

ブックオフにも行って、村上春樹の「TVピープル」を108円で買った。

村上春樹は少し読んだけど、全部読むほど好きというわけではない)

 

本屋では、「なぜ理系に進む女性は少ないのか」という本を買った。

 

(ここから先はぼくがよく考えるような内容なので過去との重複があるかもしれない)

ところで、知能が遺伝か育ちかという問題は、ぼくは遺伝の影響が大きいと実感している。

知能の高い人間でも、まともな家庭で正常に育って進学校に通って東大レベルの大学に進んだという人間は、どうもそういう実感がないようだ。

周りを同じようなレベルの人間に囲まれるからなんだろう。

(それにしても…とは思うが)

 

ぼくみたいなダメ人間は、知能を生かせないで低いレベルのところに行くことになることが多いので、そういう場で特に周囲との知能のギャップを意識することになる。

同じところからスタートして同じ教材を使っても理解の速さが違うので。

 

かといって、全般的に知能が高いわけではなく、向き不向きがすごくある。

簡潔データ構造とかは比較的向いているけど、機械学習全般はダメとか。

こういうバランスの取れていないパラメータをどう使えば少しは人生がマシになるのかというのは、ぼくの長期的なテーマだ。

 

もちろん、勉強によって力を伸ばせるところもあるとは思う。

院試の前には毎日1〜2時間ぐらい勉強して、それでオートマトンとか正規表現とか文脈自由文法とかあのへんをやって、だいぶ理解できるようになった。

そのほかにはグラフ理論とかも。

まあ、これらは向いているほうの分野だけど。

 

向いていなくても努力で伸ばせると実感したのは、片付けのほう。

一人暮らしのときには「1回に3ステップだけ片付けする」とか工夫した結果、片付け力が1から3ぐらいにはなった。

(もっとも、E といると、ぼくのそのわずかな片付け力を発動するレベルになる程度(足の踏み場がなくなるぐらい)に到達する前にいろいろ言われるので、そのわずかな片付け力も水泡に帰してしまった)

 

向き不向きにかかわらず、持っている力は3倍ぐらいにはできるのかもしれない。

でも、1の力を3にしたところでレベル的に人材価値には結びつかなかったりするし、100の力を300にできるところがあっても分野的にお金にならなかったり、難しい。

(特に簡潔データ構造界隈なんかは万レベルの実力で第一人者になるぐらいじゃないと金にならなさそうだ)

 

まあ、こういうふうにダメな人生で何とかあがいている立場からすると、マッチョやミサワ的な人間に対していろいろと思うことがあったりする。

 

そういえば、最近TLでスーパーミサワ的なコンテンツ(明らかにすごくて自分でもそれを自覚しているのに自分なんてダメだみたいなことを言う)が現れて興味深いんだけど、この「ミサワ」や「マッチョ」についてはもうちょっと掘り下げて考えてみたい。

 

と思いつつ、ひとりになる時間がないんだけど…。