06/10

(0:58) 今日も午前はプログラミング、午後は家庭教師。

 

家庭教師はウェーブレット(木|行列)をやった。

やる前はウェーブレット行列だけでいいかなと思っていたけど、岡野原さんの

ウェーブレット木の世界もあるし、やっぱりウェーブレット木から入ることにした。

 

頭の回転が速い人なので、ウェーブレット木はスムーズに理解してもらえた。

それでも、ウェーブレット行列は少し難しいようだった。

RankLessThan(というか、ある数字より大きいもの・小さいもの・等しいものがいくつあるかの検索)の手順を説明したあと、実際に紙に書いてやってもらった。

それでだいぶ理解してもらえたんじゃないかと思う。

 

ぼくにとって意外だったのは、やっぱりウェーブレット行列のほうが難しいということだ。

ぼくはウェーブレット行列にはかなり入れ込んでいるので難しさを忘れていたが、確かに理解するまでの時間はこちらのほうが長かった。

 

ウェーブレット木のときは、黒橋研のときに同級生と二人勉強会をして、「このアルゴリズム考えた人頭おかしい」と思いつつも、意外とすんなり理解できた。

しかし、ウェーブレット行列はどうなっているのかよくわからず、32個の数字を紙に書いて、実際に数字やビットを動かしてみないと理解できなかった。

実装としてはウェーブレット行列のほうがシンプルなのにいまいち広まらないのは、人間にとってのわかりにくさが原因なのかもしれない。

英語版WikipediaWavelet Treeの記事はあるのにWavelet Matrixの記事はないし。

残念だ。

 

今日は久しぶり? に日韓関係について考えた。

村脇さん(黒橋研での先輩でもある)の「戦犯旗」はいつ使われだしたかという記事がきっかけ。

 

韓国語での言い方(욱일기 のほかに 욱일승천기 というのもある。さっき調べたら대동아기とも呼ばれるらしい)や旭日旗の受け取られ方(元から日章旗よりもイメージが悪い)について事実関係を少し補足したけど、全体の論旨は「韓国のサッカー選手の人種差別的パフォーマンスをして、その言い訳に旭日旗を持ち出して、それがきっかけで反旭日旗運動が起きた」というものなので、そこに変わりはない。

 

しかし、韓国とそれなりに縁のある人であれば(少なくともぼくは)、このことから感じるニュアンスはだいぶ違うと思う。

 

まず、韓国の世論がちょっとしたきっかけで盛り上がってしまうということは、すごくよくあることだというのがある。

それは反日であることも多いけれど、反米や反政府であることもある。

最近でいうと沈没船の件とか。

だから、反旭日旗の件も「平常運転だなぁ」と思ってしまう。

 

まあ、平常運転であっても、ちょっとしたきっかけで反日が盛り上がるのはどうなのというと、よくないことだとは思う。

 

人種差別パフォーマンスというのは、韓国のサッカー選手が日本との試合で得点した後に猿の真似をしたというもの。

それが人種差別であるというのは確かで、欧米で深刻に受け止められるというのもわかるんだけど、まあ本人はそんなに大ごとになるとは考えていなかったんだろうなぁとも思う。

 

それには、二つの要因がある。

 

まず、韓国人は日本人を下に見ていない、もっと踏み込んで言えば上に見ているということ。

韓国から見ると日本は人口だけでも2〜3倍の国で、経済規模でいうともっと大きい。

大きな本屋には日本書のコーナーがあるし、村上春樹などの翻訳書はどこにでもある。

韓国にとって日本がどれだけ「身近な大国・先進国」であるかという感覚は、(韓国とあまり縁のない)日本人にはなかなか実感できないんじゃないだろうか?

 

だから、韓国人が日本人をからかったとき、それを「人種差別」と言われてもピンと来ないんじゃないかと思う。

以前、ANA金髪に高い鼻をつけた日本人のCMを作って問題になっていたけれど、日本人の感覚でこれがピンと来ないというのと同じことだ。

これが、アフロに太い唇だったら最初から出てこないだろう。

その背後には、白人を上・黒人を下に見る(だから上に対しては差別にならない)という感覚がある。

 

もうひとつは、韓国人の日本人に対する半・身内意識。

 

外国で日本人と韓国人が会うと、仲良くなる確率が高い。

韓国人は日本人のことをよく知っている(少なくとも、そう思っている)し、文化的にも近い(箸・海苔・味噌など)ので親近感が湧く。

元々身内とそれ以外をはっきり分ける韓国人は、日本人を半・身内のように扱う。

(もっともそれはあくまで「半」なのだが)

 

だから、韓国人が日本人をからかうのも、半分同国人相手の感覚なんだと思う。

たとえば日本人同士であれば、大阪人が東京人をからかっても人種差別とは普通受け取られない。

韓国人と日本人はそこまで近いわけじゃないけれど、それでも近い感覚はある。

 

もちろん、上に書いたようなことは「甘え」なんだけど、ちょうど日韓とも「甘え」との親和性が高い。

日本側も結局正式な抗議をしていないそうだ。

 

日韓を普通の二国間関係と考えると、こういう状況はよくないので、普通に人種差別として抗議すべきだというのもわかる。

でも、今のような複雑な感情のもつれ(特に韓国側からの)が生まれたのは、そもそも日韓併合がもとで…という考え方もできる。

 

このあたりのことは、黒田勝弘さんがいろいろ書いている。

結局、日韓が普通の関係になるには世代交代しかないんじゃないかというのが従来の結論なのだが…。

 

ぼくが韓国に関わってもう20年もたつが、この図式は相変わらずのようだ。

ぼく自身、韓国側の半・身内意識に共鳴して、韓国のことを半・身内のように考えているところがある。

 

そういうふうに再生産されたりしつつも、超長期的にはお互い「ただの外国」になるのか(日本にとっては今でも「ただの外国」だけど)、でもそうなったら寂しいなぁ…という気持ちもありつつ。

 

まあ、反論ではないんだけれど、感情的なところを書いてみた。