(0:34) 風邪継続中。
QOL が低い。
朝は妻の母と一緒に子供を身体測定に連れて行った。
よく歩き回る。
(ところで、この「歩き回る」の主語が「子供」ということは本質的に難しい問題だ。人間であれば、脳内に「子供」という概念があって、それが「歩き回る」という性質を持ちやすいことがわかっている。しかし、「妻の母」というのも同時に「歩き回る」の主語になりうる。文章を書いている人間が成人であれば、「妻の母」というひとつ上の世代の人間はそれなりの年齢であり、そうであれば認知症で歩き回るということも考えられるからだ。しかし、「妻の母」が認知症だとすると著者が子供の身体測定に同行させるということは考えにくい。よって「歩き回る」の主語は一意に子供に決まる。ここで、「歩き回る」の主語が著者ではないということを前提としたが、それすらも機械にとってはとても自明ではない)
(しかし、たとえば機械に「子供」「母」と「歩き回る」の共起情報を入れて、もっともらしい答えとして「子供」を出させることはできる。それで多くの場合はカバーできる)
(だが、それは正しいメカニズムによって導かれたものではない。そのため、精度を上げようとするとどうしても美しくないヒューリスティックスに頼らないといけない)
(話がそれた)
ほかの子供と性格などの比較をしてみたいところだったのだが、あまり観察する余裕はなかった。
(それにしても、ぼくの日記は子供のことが占める割合が少ない)
(ぼくはそういう意味で人間的にはなれない)
午前・午後とも、喫茶店で少しプログラミングのアルバイトをした。
しんどいし、横になって休んでいたほうがよかったのだろうか。
継続して、機械翻訳について考える。
機械翻訳の苦手なところは、やっぱりそのヒューリスティックなところだ。
勉強していると、なんだそりゃって式がいくらでも出てくる。
簡潔データ構造などとはえらい違いだ。
ぼくもヒューリスティックな手法はいろいろとよく使う。
Perl でワンライナーを書いて前処理などをするときには、適当にそれっぽいやり方を考えて試行錯誤する。
しかし、そういうのはだいたい小さな問題で、問題の本質がわかっていて、それに対して少し手を抜く工夫をするというレベルだ。
しかし、機械翻訳はヒューリスティックスの対象としてはものすごく大きい。
そして、人間のしている意味処理という大きなモジュールをまるごと迂回しないといけない。
そこには本質に近づく喜びがない。
何とかして、少しでも意味に踏み込むことはできないのだろうか。
冒頭で書いたような推測ができるように。
それができたら、本質に近づく喜びが得られると思うのだが。
そのうち誰かがその方向性でよりよいエンジンを作る日が来るのかもしれない。
しかし、ぼくレベルでは無理そうだ。
(こういうことを書いていると、プログラマ風情がなぜ機械翻訳について考えるのかと思う人がいるかもしれないが、特に目的があってのことではない)
(この手の言い訳を書くのは、アッカデミャーにはそういう偉い・偉くないで人を判断する人間が多そうなので)
(修士時代に得た感触)
ところで、正直なところを言うと、NICT を受けた理由のひとつには、「公」に関わる場に特有の多少のヌルさがあるかもしれないと期待したということもある。
前職のライン工の仕事でだいぶひどい目に遭ったからだ。
技術的に三流の職場で、人間的にミニマルな実質上司たちに監督されるというのは最低の経験だった。
NICT では優秀な人材が揃っているので、さすがにそういうことになる可能性は低いんじゃないだろうか。
まあ、入ってみないとわからないけど。
それに、ツイッターでそれなりにアクティブな自然言語処理業界の人間に、あまり自分と合わない人間は多くないという経験則もある。
(自然言語処理から離れると当てはまらない。一流マッチョプログラマは合わないのが多い。たまに合う感じの人はだいたい幼少期に苦労しているタイプだ)
(言語学でも合わない人は少ないのだが、一人徹底的に合わないのがいる)
さて、技術員になるのはいいとして、プログラマとして二流レベルを維持できるかという問題がある。
(一流というのはネットでキャッキャウフフしている人たちだと思うので、ぼくは自分のことを二流だと考えている)
(三流というのは、バージョン管理ソフトもろくに使えず zip でファイルをやりとりすることに疑問を持たないような人間だ)
これまでの感触からは、どういう場所にいても、ツイッターさえしていれば、地頭の有利さ(平均レベルから見て)もあるので、二流レベルは維持できるんじゃないかと思う。
しかし、一流にはなれないというのも確かなようだ。
今後、加齢で能力が低下するだろうし、かといって年齢相応の成熟度も身につけられていないし…。
まあ、考えてもしかたがない。
今の路線でやれるところまでやって、ダメになったら別の路線を考えよう。