(23:47) 体調が悪く、今日はプールに行かなかった。
機械翻訳の本をざっと読んだ。
もちろん、難しいので理解できないところのほうが多い。
もしぼくが機械翻訳をやることになったとしたらと思うと怖い。
それは Google を辞めるときにあった選択肢だ。
そちらを選んでいたら、Kさん(言わずと知れた業界の第一人者)のもとで勉強できていたかもしれない。
(そして、もちろん貧困にも苦しんでいなかっただろう)
でも、その時点でぼくは機械翻訳に関する経験があまりにも不足していた。
機械翻訳をやるという条件で募集していたら、もちろん採用されないところだ。
同じ社内だからといって、資格もないのに異動するというのには違和感があった。
もちろん、そういう建前的な潔さ問題以外にも要因はある。
Google 社員の持つ特権的な鼻持ちならなさや、言語に対する興味のなさ(日本語に関わる人間が「ラ行五段活用」や「可能動詞」といった概念を知らないという信じられない現象などがあった。もちろん第一人者の K さんはそんなことはないのだが、彼はあの中でも例外的な存在だ)に嫌気がさしていたということもある。
結果としては、まあ辞めないよりは辞めてよかったとは思っている。
ぼくはそれまで二社でしか働いたことがなかったので、自分のプログラマとしての市場価値に自信がない(当然、採用試験に受かるという地頭的な部分の自信はあった)ところがあったが、今の会社に就職して、Java, JSP, HTML+JavaScript(jQuery)+CSS といったそれまであまり経験していなかったところで力を発揮できているし、他人(現状維持を至上とする一部を除く)とのコミュニケーションもまあ取れているので、プログラマとして自分がある程度「どこでもやっていける」ことを確認できた。
この自信値のようなものは重要で、これがないと転職活動もうまくできない。
(現職の転職活動のときにはそれが問題だった。自分にどれだけの市場価値があるか、自分でもはっきりしたところがわかっていなかったので)
もし機械翻訳を改めてやることになったらどうだろう?(そこまで荒唐無稽な仮定ではない)
そのためには、ぼくには致命的に知識・経験が足りていない。
しかし、より問題なのは、ぼくがその知識・経験を積みたいかどうかというところで、そこがどうも「乗りきれない」ところだ。
昨日までの日記にもいろいろ書いたけれど。
たとえば単言語の形態素解析や構文解析であれば、そこにはある種の真実がある。
人間も、少なくとも浅いレベルでは、そうやって形態素解析や構文解析をしていると思える。
しかし、人間は決して、いま機械翻訳がやっているようには翻訳をしていない。
人間は、翻訳をするときに「世界モデル」を使っている。
前書いたように、「ママは、パパが誕生日を忘れたので怒っている」のような単純な文を翻訳するのでさえ、その世界モデルなしにはうまくできない。
しかし、その世界モデルはあまりにも複雑すぎて、とても機械には真似ができない。
それができたら、AI が完成してしまう。
(昔のぼくは、その世界モデルが機械に扱えるとナイーブに思っていたこともあったけど)
世界モデルなしの機械翻訳(それしかできない)は、どうしても小手先の技術になる。
そこには不変の真実がないので、流行などによって左右されてしまう。
(たとえば形態素解析や構文解析であれば、そういう流行による影響は少ない)
そこに、どれだけ入っていけるか。
まあ、ぼくが機械翻訳をやったら、当然のようにパチモノ的存在になるわけだけど、これまで本当に悲しくなるようなひどい事例も目にしているので、ぼく程度のパチモノさ加減ならそれなりにマシかもしれないとも思う。
どうして、人間は機械翻訳を簡単にできるものだと思うんだろう?
その思い込みによる悲劇は本当につらい。